2015.06.08更新

名古屋城

別名 金鯱城、金城、柳城、亀屋城、
蓬左城
城郭構造 梯郭式平城
天守構造 連結式層塔型5層5階地下1階
1612年築 (非現存)
1959年再建(SRC造・外観復元)
築城主 徳川家康
築城年 慶長14年(1609年
主な改修者 名古屋城再建委員会
主な城主 尾張徳川家
廃城年 1871年(明治4年)
遺構 櫓3棟・門3棟、庭園、石垣、堀
指定文化財 国の重要文化財(櫓3棟、門3棟)
再建造物 大小天守、正門、御殿玄関、表書院
位置 北緯35度11分7.77秒
東経136度53分56.71秒
名古屋城(なごやじょう)は、尾張国愛知郡名古屋(現在の愛知県名古屋市中区北区)にあった日本の城である。「名城(めいじょう)」、「金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)」、「金城(きんじょう)」の異名を持つ。日本100名城に選定されており、国の特別史跡に指定されている。
名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏織田氏那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が九男義直のために天下普請によって築城したとされる。以降は徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用された。
姫路城熊本城とともに日本三名城に数えられ、伊勢音頭にも「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と詠われている。大天守に上げられた金鯱(きんこ))は、城だけでなく名古屋の街の象徴にもなっている。
大小天守と櫓、門、御殿などの一部は昭和戦前期まで残存していたが名古屋大空襲(1945年)によって大部分を焼失した。戦後に天守などが外観復元され、現在城跡は名城公園として整備されている。
16世紀の前半に今川氏親が、尾張進出のために築いた柳ノ丸が名古屋城の起源とされる。この城は、のちの名古屋城二之丸一帯にあったと考えられている。1532年(天文元年)、織田信秀今川氏豊から奪取し那古野城と改名された。
信秀は一時期この城に居住し、彼の嫡男織田信長はこの城で生まれたといわれている。のちに信秀は古渡城に移り、那古野城は信長の居城となったが、1555年(弘治元年)、信長が清須城(清洲城)に本拠を移したため、廃城とされた。
名古屋城の城地は、濃尾平野に注ぐ庄内川が形作った名古屋台地の西北端に位置する。台地は濃尾平野に向かって突き出しており、平野の北を一望に監視できる軍事的な要地にあたる。
築城以前、台地縁の西面と北面は切り立った崖で、その崖下は低湿地となっており、天然の防御ラインを形成した。また、伊勢湾に面した港である南の熱田神宮門前町からは台地の西端に沿って堀川が掘削され、築城物資の輸送とともに、名古屋城下町の西の守りの機能を果たした。

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