2016.10.03更新
白毫寺
閻魔王
所在地 | 奈良県奈良市白毫寺町392 |
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位置 | 北緯34度40分15.65秒 東経135度51分4.35秒 |
山号 | 高円山 |
宗派 | 真言律宗 |
本尊 | 阿弥陀如来(重要文化財) |
創建年 | 伝・霊亀元年(715年) |
開基 | 伝・勤操 |
別称 | 一切経 |
札所等 | 関西花の寺二十五霊場18番 大和北部八十八ヶ所霊場 第63番 |
文化財 | 木造阿弥陀如来坐像 木造菩薩坐像(伝文殊菩薩)ほか(重要文化財) |
白毫寺(びゃくごうじ)は、奈良県奈良市白毫寺町にある真言律宗の寺院。本尊は阿弥陀如来。開基(創立者)は勤操と伝える。奈良市街地の東南部、春日山の南に連なる高円山の山麓にあり、境内から奈良盆地が一望できる景勝地に建つ寺である。関西花の寺二十五霊場第18番(萩)。
なお、寺号の「白毫」は、仏の眉間にある白い巻毛のことである。
霊亀元年(715年)、天智天皇の第7皇子である志貴皇子の没後、天皇の勅願によって皇子の山荘跡を寺としたのに始まると伝えられる。また、かつてこの高円山付近に存在した石淵寺(いわぶちでら)の一院であったともいう。石淵寺は空海の剃髪の師であった勤操が建てたとされる寺院である。鎌倉時代になって西大寺の叡尊によって再興され、叡尊の弟子である道照が将来し経蔵に収めた宋版一切経の摺本によって、一切経寺とも呼ばれ繁栄した。室町時代に兵火で建物が焼失し衰退するが、江戸時代の寛永頃に興福寺の空慶により復興される。
境内には他に御影堂、宝蔵、石庭、椿園、万葉歌碑などがある。重要文化財指定の仏像は本堂から宝蔵に移されている。
白毫寺にはかつて室町時代建立の多宝塔があったが、大正6年(1917年)に人手に渡り、移築された。移築先は長らく不明とされていたが、兵庫県宝塚市切畑長尾山にある藤田伝三郎男爵の三男彦三郎が建てた宝塚山荘に移築されていたことが後に判明した。昭和24年(1949年)、三洋電機創業者である井植歳男が藤田家からこの別荘を譲り受けて名称を「井植山荘」と改め、現在にいたる。なお、この多宝塔は平成14年(2002年)3月19日、別荘付近の山火事によって全焼した。