2016.10.25更新
八幡神社(東九条町)
所在地 | 奈良県奈良市 東九条町字宮ノ森1316 |
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位置 | 北緯34度40分00.2秒 東経135度48分50.3秒 |
主祭神 | 仲哀天皇 応神天皇 神功皇后 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 伝貞観元年 (859) 以降、 もしくは斉衡2年 (855) |
本殿の様式 | 流造檜皮葺 |
別名 | 元石清水八幡神社、 子安八幡宮 |
例祭 | 10月10日 |
八幡神社(はちまんじんじゃ)は奈良県奈良市東九条(とうくじょう)町に鎮座する神社(八幡宮)。大安寺の旧境内に鎮座し、もと同寺の鎮守神として大安寺八幡宮と称された。また、山城国男山の石清水八幡宮の元宮であるとの伝承を持つ事から元石清水八幡宮と称し、或いは辰市(たつのいち)4箇郷の氏神とされたことから、郷社石清水八幡神社や辰市八幡宮等とも称された。
なお、町内に当神社から勧請した同名神社が存在するので、併せて記載する。
仲哀天皇、応神天皇、神功皇后を祀る。
大安寺の鎮守であるが、安産に効ありとの信仰も集めており、そのために子安八幡宮とも称される。本殿下に土製の鳩が無数に並ぶが、それらは安産祈願に参詣した者が奉納したものという。
応和2年(962年)5月11日の年紀をもつ『大安寺八幡宮御鎮座記』は、入唐した大安寺の僧侶行教が帰朝の途次に豊前宇佐八幡宮に参籠してその神影を奉戴、大同2年(807年)に大安寺東室第7院の石清水房に鎮座したのが起源で、後に神殿を造営して遷座し、「石清水八幡宮」と号して大安寺の鎮守神としたが、貞観元年(859年)に神託によって山城男山へ遷座したために改めてその跡に祀ったのが創祀であるとする。また異説として、保延6年(1140年)に著された『七大寺巡礼私記』はそれ以前の斉衡2年(855年)に行教が勧請して創祀したものとしている。
鎮座地は『七大寺巡礼私記』に「東塔の北に在り」とあるように、かつては大安寺の寺域に属して南には同寺の東塔が建っていた。また『御鎮座記』にある石清水房も「大安寺伽藍絵図」によると現社地と大安寺の間にあった事が確認できる。なお、建長7年(1255年)以前の成立とされる『七大寺日記』には大安寺の金堂の東に南北1町ほど(およそ120メートル)に連なった僧坊の跡がある事を記し、その北から4番目の坊が行教の坊であったとの古老の伝えを紹介、次いでその傍らに石清水という井戸がある事を述べるが、現社地北方の御霊神社境内にある「石清水の井」がその井の遺称であるという。
中世には「辰市八幡宮」と称され、辰市4箇郷の鎮守神として尊崇され、春日大社の正預に就任した者は必ず一度は頭役として勤仕する定めであった。永正元年(1504年)に焼失した記録があり、その後再興されたようであるが、元亀2年(1571年)の松永久秀の辰市攻略等の戦乱で大安寺とともに衰微の道を辿り、慶長元年(1596年)閏7月12日には大地震によって同寺とともに罹災、その影響で大安寺が一時廃寺の状態となったために独立し、在地の氏神として村民の手によって復興された。
社伝によれば、文久3年(1863年)に大修理を、大正2年(1913年)に本殿と全末社の彩色を施している。