2016.07.11更新

率川神社


トップページへ戻る

        率川神社

所在地 奈良県奈良市本子守町18
位置 北緯34度40分53.02秒
東経135度49分32.66秒
主祭神 姫蹈鞴五十鈴姫命
狭井大神 (御父神)
玉櫛姫命 (御母神)
社格 式内小社
創建 推古天皇元年(593年)2月3日
本殿の様式 一間社春日造
別名 率川坐大神御子神社
子守明神
例祭 6月17日(三枝祭
率川神社(いさがわじんじゃ)は奈良県奈良市本子守町にある神社大神神社の境外摂社で、正式名称を率川坐大神御子神社といい[1]、また子守明神とも呼ばれる[2]。『延喜式神名帳』に「率川坐大神神御子神社 三座」と記載される式内小社
推古天皇元年(593年)2月3日、大三輪君白堤勅命により奉斎したとされ[1]、奈良市最古の神社という[2]仁寿2年(852年)、文徳天皇の代に従五位下を授けられ、神封6戸(左京4戸、丹後国2戸)を与えられている[1]
治承4年(1180年)12月、平重衡の乱によって社殿が消失[1][3]中世以降は春日若宮神官により管理され、興福寺とのつながりが大きかった[1]。そのため、中世期の遷宮記録などは、『大乗院寺社雑事記』に度々記録されている[1]。近世には春日大社の大宮外院11社の中にあったが、1877年明治10年)3月、内務省達により大神神社摂社率川坐大神御子神社と定められた[1]
本殿中央に御子神(媛蹈韛五十鈴姫命)が祀られ、父母神(西に御父神・狭井大神、東に御母神・玉櫛姫命)が両脇によりそうような姿で鎮座していることより、古くから「子守明神」とたたえられ、安産、育児等の神として篤い信仰がよせられている[2]。南辺を流れる率川は、よって子守川との俗称もある[1]