2014.05.12更新
懿徳天皇陵
懿徳天皇(いとくてんのう、綏靖天皇29年 - 懿徳天皇34年9月8日)は、『古事記』『日本書紀』に記される第4代天皇(在位:懿徳天皇元年2月4日 - 同34年9月8日)。大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとものみこと)・大倭日子鉏友命(『古事記』)。
いわゆる欠史八代の1人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的であるが実在説もある。(欠史八代の実在説を参照。)
第4代天皇の懿徳天皇は古事記に大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとものすめらみこと)と記されています。御陵は古墳時代前期の前方後円墳で、全長約30mありますが、現在形はわかりにくくなっています。江戸時代には元畝傍村(現久米町)、神宮の森に残るイトクノ森古墳だとされていたが、文久3年に西池尻町丸山(マサゴ谷)の現在の位置に治定されました。また延喜式にも人皇四代懿徳天皇は大和の国高市畝傍山の南纖沙渓谷の上の陵なりと記されています。また、橿原市白橿町に『軽曲峡宮跡(かるまがりおのみやあと)』という懿徳天皇の宮跡伝承地があります。