2014.05.15更新

箸墓古墳(大市墓)

位置 北緯34度32分21.34秒
東経135度50分28.42秒
所在地 奈良県桜井市箸中
形状 前方後円墳
規模 墳丘長278m
高さ30m
築造年代 3世紀中頃
被葬者 倭迹迹日百襲姫命宮内庁治定)
(推定)卑弥呼
出土品 特殊器台形埴輪、壷形埴輪
史跡指定 宮内庁治定(大市墓)

箸墓古墳(はしはかこふん、箸中山古墳とも)とは、奈良県桜井市にある前方後円墳[1]
宮内庁により「大市墓(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治定されている。また「箸中大池」としてため池百選の1つに選定されている。
纒向遺跡の箸中に所在する箸中古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の中でも最古級と考えられている3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳。この古墳を、『魏志』倭人伝が伝える国の女王、「卑弥呼」の墓とする(邪馬台国畿内説)説もある。従来、構築年代が3世紀末から4世紀初頭であり、卑弥呼が死亡したされる3世紀前半との時期にずれがあるため、その可能性は少ないといわれてきたが、最近、年輪年代法炭素年代測定法による年代推定を反映して、古墳築造年代を従来より早める説が提唱されており、箸墓古墳の築造年代も卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀の中頃から後半とする説も出てきている。
現在は宮内庁により陵墓として管理されており、研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹である。大市は古墳のある地名。『古事記』では、夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)命である。

倭迹迹日百襲媛命
(やまとととひももそひめのみこと)
夜麻登登母母曽毘売命
(やまと・とも・もそ・ひめのみこと)
続柄 孝霊天皇皇女
身位 皇女
出生 不明(紀元前92年以前:災害がつづく理由を占う)
死去 不明(紀元前88年以降:武埴安彦命の反乱を予言)
埋葬 不明
大和国箸墓古墳
父親 孝霊天皇(第 7代天皇
母親 倭国香媛
倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと、生没年不詳(生年:紀元前92年以前) - (没年:紀元前88年以降))は、孝霊天皇紀元前342年 - 紀元前215年)の皇女

邪馬台国の女王・卑弥呼の墓という説もあり、最も著名な古墳の一つ。墳丘長は280m、後円部径155m・高さ29.4m、前方部長125m・幅140m・高さ16mの前方部の先端がバチ状に広がる形状の前方後円墳であり、最古級に位置付けられている。
想定される古墳の築造時期は3世紀後半と考えられるが、研究者によって若干の差がある。
現在は、宮内庁によって第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の大市墓として管理されているので、内部には立ち入れない。

墳丘裾部分に板石が散見されることから、竪穴式石室の存在が予想される。
平成19年9月の台風7号による被害で、多くの樹木が倒壊し、墳丘に大きな損傷が生じた。この復旧工事にあたって、根起き箇所などから多数の二重口縁壺形埴輪、特殊器台形埴輪が採取された。これらの埴輪は、山陽地方に起源を持つとされる特殊器台、特殊壺と呼ばれる土製品が、埴輪へと変化していくまさに過渡期の資料といえる。このことは、機内から吉備にかけての政治的なまとまりをも示唆している。