2016.10.10更新
璉珹寺
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白色阿弥陀佛
所在地
奈良県奈良市西紀寺町45
位置
北緯34度40分23.99秒 東経135度49分59.30秒
山号
常光山
宗派
浄土真宗遣迎院派
本尊
裸形
阿弥陀如来
立像
創建年
奈良時代
開基
(伝)
行基
文化財
木造観音菩薩立像、木造勢至菩薩立像(重要文化財)
璉珹寺(れんじょうじ)は、
奈良市
にある
浄土真宗遣迎院派
の
寺院
。
縁起では、
天平
年間に
聖武天皇
の勅願で
行基
により開基され、平安時代に
紀有常
により改めて伽藍を建立され再興されたと伝わっている。また
紀寺
の跡ともいわれ、周辺から
奈良時代
前期の古瓦も出土している。
慶長
7年(
1602年
)、
徳川家康
より肘塚村・法華寺村のうちに
朱印地
二十石を下賜され、
江戸時代
を通じて寺領としてきた。
過去帳などによると、最初は
法相宗
、中頃には
浄土宗
誓願寺
末寺、
享保
9年(
1725年
)4月に
天台宗
に改宗し、
京都
養源院
の末寺となったと伝わる。『
奈良坊目拙解
』では「本名紀寺 在於東側南端、寺領廿石 浄土宗 先規誓願寺末寺、近世天台宗京大仏養源院末寺也」とあり、現
高市郡
明日香村
に所在したと考えられる紀寺の別院としている。現在は
浄土真宗遣迎院派
に属し、無檀家の寺である。
維新以後は衰微した時期もあったようであるが、現在は墓地も拡張され、境内も整備されている。
1964年
(
昭和
39年)、戦死者慰霊のため、庭に大きな
観音
像が建立された。
表門より入って左に
庫裏
があり、中門の先には玄関・客殿などがある。中門脇・本堂右手などに、石の古仏がいくつか見られる。本堂中央には本尊である白色裸形の
阿弥陀如来
立像が安置されている。
鎌倉時代
の作。裸形で、下半身には布製の袴を着せている。
秘仏
であるが、毎年5月に開扉公開されている。
本尊右の脇壇には、脇侍である
観音菩薩
立像(
平安時代
作)と
勢至菩薩
立像(
室町時代
作)が安置されており、いずれも国の
重要文化財
である。
本尊左の脇壇およびその周囲には、
紀有常
尊像・
行基菩薩
坐像・
聖徳太子
立像・
地蔵菩薩
半跏像が安置されている。紀有常像は
厨子
に納められ、台座には「璉珹寺/紀有常尊像/享保十一丙午歳/二月廿三日相當/八百五十年忌/於京都開眼供養砌/御再興訖/南都廿一世泰宴法印」との再興墨書銘がある。行基坐像台座裏には、「行基坐像/行基菩薩影元禄五壬申稔三月三日修補/常光山璉珹寺住侶云々」と墨書されている。