2015.05.21更新
西大寺
十一面観音
釈迦如来
大黒天
愛染明王
所在地
奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5
位置
北緯34度41分36.99秒
東経135度46分46.19秒
山号
勝宝山
宗派
真言律宗
寺格
総本山
本尊
釈迦如来
(重要文化財)
創建年
天平神護
元年(
765年
)
開基
常騰
、
孝謙上皇
(勅願)
正式名
勝宝山 四王院 西大寺
札所等
真言宗十八本山
15番
大和十三仏霊場
2番
南都七大寺5番
西国愛染十七霊場
13番
神仏霊場巡拝の道
第23番
大和北部八十八ヶ所霊場
第24番
文化財
絹本著色十二天像12幅、
金銅宝塔及び納置品ほか(国宝)
本堂、絹本著色釈迦三尊像、
木造釈迦如来立像ほか(重要文化財)
西大寺(さいだいじ)は、
奈良県
奈良市
西大寺芝町にある
真言律宗
総本山の寺院。
奈良時代
に
孝謙上皇
(重祚して称徳天皇)の発願により、僧・
常騰
を開山(初代住職)として建立された。
南都七大寺
の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、
平安時代
に一時衰退し、
鎌倉時代
に
叡尊
によって復興された。山号は勝宝山
[1]
。現在の本尊は
釈迦如来
である。
宝亀11年(780年)の『西大寺資財流記帳』によれば、創建の経緯は以下のとおりである。天平宝字8年(764年)9月、孝謙上皇は
恵美押勝の乱
平定を祈願して金銅
四天王
像の造立を発願した。なお、孝謙上皇は同年10月重祚している(称徳天皇)。翌
天平神護
元年(
765年
)、前述の四天王像が造立され、西大寺が創建された。この四天王像4体は西大寺四王堂に今も安置されるが、各像が足元に踏みつける邪鬼だけが創建当時のもので、像本体は後世の作に代わっている
[2]
。
西大寺の創建当時は僧・
道鏡
が中央政界で大きな力をもっており、西大寺の建立にあたっても道鏡の思想的影響が大きかったものと推定されている
[3]
。護国のために四天王像を安置するのは「
金光明最勝王経
」に基づくものである。
「西大寺」の寺名は言うまでもなく、大仏で有名な「
東大寺
」に対するもので、奈良時代には薬師金堂、弥勒金堂、四王堂、十一面堂、東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍を持ち、南都七大寺の1つに数えられる大寺院であった。前述の『資財流記帳』の記載や、元禄11年(1698年)作成の伽藍絵図から復元される伽藍配置は以下のようなものである。寺域の中心には薬師金堂が建ち、その背後、通常の寺院では講堂のある位置には弥勒金堂が建っていた。これら中心伽藍の東には小塔院、その北に食堂院(じきどういん)、中心伽藍の西には正倉院、その北に政所院(まんどころいん)があった。中心伽藍の前方(南)には東西2基の五重塔が建ち、これらの東に四王院、西に十一面堂院があり、四王院の南に東南角院(すみいん)、十一面堂院の南に西南角院があった。塔は八角形で計画されたが、途中で四角形に改められたという。
『資財流記帳』によれば、これらの諸堂には、密教系の像を含む、多数の仏像が安置され、多くの鏡で荘厳されていた。薬師金堂には、薬師三尊像を中心に計21体の仏像が安置され、中には密教系の孔雀明王像も含まれていた。弥勒金堂には計77体もの仏像が安置され、弥勒仏の兜率天浄土を表現していた。
[4]
しかし、寺は平安時代に入って衰退し、火災や台風で多くの堂塔が失われ、
興福寺
の支配下に入っていた。
西大寺の中興の祖となったのは鎌倉時代の僧・
叡尊
(興正菩薩、1201〜1290)である。叡尊は
建仁
元年(1201年)、大和国添上郡(現・
大和郡山市
)に生まれた。11歳の時から
醍醐寺
、
高野山
などで修行し、
文暦
2年(1235年)、35歳の時に初めて西大寺に住した。その後一時
海龍王寺
(奈良市法華寺町)に住した後、
嘉禎
4年(1238年)西大寺に戻り、90歳で没するまで50年以上、荒廃していた西大寺の復興に尽くした。叡尊は、当時の日本仏教の腐敗・堕落した状況を憂い、戒律の復興に努めた。また、貧者、病者などの救済に奔走し、今日で言う社会福祉事業にも力を尽くした。西大寺に現存する仏像、工芸品などには本尊釈迦如来像をはじめ、叡尊の時代に制作されたものが多い。その後も
忍性
などの高僧を輩出するとともに、荒廃した諸国の
国分寺
の再興に尽力し、
南北朝時代
の
明徳
2年(
1391年
)に出された「西大寺末寺帳」には8か国、同時代のその他の史料から更に十数か国の国分寺が西大寺の
末寺
であったと推定されている(なお、現存の国分寺のうち、西大寺と関係を持つのは旧
伊予国分寺
のみであるが、他にも複数の国分寺が真言宗各派に属している)。
西大寺は室町時代の
文亀
2年(1502年)の火災で大きな被害を受け、現在の伽藍はすべて江戸時代以降の再建である。なお、西大寺は
1895年
(明治28年)に真言宗から独立し、真言律宗を名乗っている。真言律宗に属する寺院は、大本山
宝山寺
(奈良県
生駒市
)のほか、
京都
・
浄瑠璃寺
、
奈良
・
海龍王寺
、
奈良
・
不退寺
、
鎌倉
・
極楽寺
、
横浜
・
称名寺
などがある。