2016.10.02更新
新薬師寺
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御詠歌
薬師如来
所在地
奈良県奈良市高畑町1352
位置
北緯34度40分33.1秒 東経135度50分46.2秒
山号
日輪山
宗派
華厳宗
本尊
薬師如来像(国宝)
創建年
8世紀中期
開基
光明皇后
札所等
西国薬師四十九霊場
六番
大和十三仏霊場
第7番
大和北部八十八ヶ所霊場
第8番
文化財
本堂、十二神将像(国宝)
南門、地蔵堂ほか(重要文化財)
新薬師寺(しんやくしじ)は、
奈良市
高畑町にある
華厳宗
の寺院である。本尊は
薬師如来
、開基(創立者)は
光明皇后
または
聖武天皇
と伝える。
山号
は日輪山(ただし、古代の寺院には山号はなく、後世に付したものである)。奈良時代には南都十大寺の1つに数えられ、平安時代以降は規模縮小したが、国宝の本堂や奈良時代の
十二神将
像をはじめ、多くの文化財を伝えている。
奈良市街地の南東方、
春日大社
の二の鳥居の南方に位置する。最盛期には4町(約440メートル)四方の寺地を有し、現在の
奈良教育大学
のキャンパスあたりまでが新薬師寺の境内地であった。
新薬師寺は奈良時代(
8世紀
)創建の官立寺院であることは間違いないが、創建の正確な時期や事情については正史に記載がない。平安時代末期成立の『東大寺要録』には、末寺である新薬師寺についての記載があり、同書の巻第一・本願章には「
天平
19年(
747年
)、光明皇后が夫聖武天皇の病気平癒のため新薬師寺を建て、七仏薬師像を造った」とある。また、同書巻第六・末寺章によれば、新薬師寺は別名を香薬寺といい、九間の仏堂に「七仏(薬師)浄土七躯」があったという。
天平宝字
6年
3月1日
(
762年
3月30日
)の「造東大寺司告朔解」(こくさくげ)という文書(正倉院文書)によると、当時「造香山薬師寺所」という臨時の役所が存在し、香山薬師寺(新薬師寺の別名)の造営がまだ続いていたことがわかる。
『
続日本紀
』の記載を見ると、聖武天皇の病気は2年前の天平17年(745年)以来のもので、新薬師寺の建立された天平19年(747年)頃は小康状態にあったようである。『続紀』によると、天平17年(745年)9月には聖武の病気平癒のため、京師と畿内の諸寺に薬師悔過(けか)法要の実施を命じ、また諸国に「薬師仏像七躯高六尺三寸」の造立を命じている。新薬師寺の創建は、この七仏薬師造立の勅命にかかわるものとみられている。なお、別の伝承では、聖武天皇が光明皇后の眼病平癒を祈願して天平17年(745年)に建立したともいう。