2014.04.22更新

中禅寺湖・華厳の滝

所在地 栃木県日光市
面積 11.62 km2
周囲長 25 km
最大水深 163 m
水面の標高 1,269 m
成因 堰止湖
淡水・汽水 淡水
湖沼型 貧栄養湖
透明度 9.0 m

2万年前に男体山噴火でできた堰止湖人造湖を除く広さ4km2以上の湖としては、日本一標高の高い場所にある湖である。また、栃木県最大の湖である。湖のすぐ北には男体山がそびえ、北西には戦場ヶ原が広がる。湖の南側には八丁出島と呼ばれる細長く突き出した半島がある。
  流入河川 : 湯川など
  流出河川 : 大谷川鬼怒川の支流)から華厳滝へ(中禅寺湖から華厳滝の間の通称は「大尻川」である)
782年(天応2年)、勝道上人が男体山の登頂時に発見したといわれている[1]1876年(明治9年)には明治天皇が訪れた際、同湖を「幸の湖(さちのうみ)」と名付けている。1878年(明治11年)6月末に当地を訪れたイザベラ・バードは、いろは坂を上り切った山頂から見下ろす中禅寺湖の水面に映える男体山を絶賛し、また湖畔を竜頭滝方面に進む際に絶えず聞こえた小石を洗う漣と高さ5メートル弱のツツジの林が真紅の花で染まっている様子をその手紙に綴っている[2]。当湖には従来はいなかったが、日光二荒山神社の記録によると1878年(明治11年)、西欧魚類の放流および養殖が開始され、日本有数の釣り場となったとある。明治中期から昭和初期にかけて、同湖周辺には欧米各国の大使館別荘が建設され、各国の外交官たちが避暑に訪れるリゾート地となる。第二次世界大戦の影響で一時衰退するが、戦後、いろは坂の開通でアクセスが容易になり、春の新緑や秋の紅葉など観光地として人気を博している。湖畔には現在もフランスベルギーなどの大使館別荘がある。
日本百景に選定されている。湖畔には日光二荒山神社中宮祠、日光山中禅寺(立木観音)、中禅寺温泉、キャンプ場などがあり、定期の遊覧船も出ている。また、華厳滝そばにある日光自然博物館では奥日光の自然についての情報が手に入る。増養殖研究所日光庁舎ではサケ・マス類の養殖技術の研究が行われており、その周囲はさかなと森の観察園として一般見学もできる。

位置 北緯36度44分16.5秒
東経139度30分07.1秒
所在地 栃木県日光市
落差 97m
滝幅 7m
水系 利根川水系大谷川
華厳の滝(けごんのたき)は、栃木県日光市にある。発見者は勝道上人と伝えられ、仏教経典の1つである華厳経から名づけられたといわれる。華厳渓谷周辺では他に阿含滝、方等滝、般若滝、涅槃滝もあることから、五時の教判から、それらと同様に命名されたものと考えられている[1][2]
男体山噴火により堰き止められた中禅寺湖からの地表を流れる唯一の流出口大谷川にある滝。落差97mの滝を一気に流れ落ちる様は壮観で、日本三名瀑のひとつにも数えられている。霧降の滝裏見滝と併せて日光三名瀑[3]とも、湯滝竜頭の滝と併せて奥日光三名瀑とも言われ、日光・奥日光の三名瀑を合わせて日光五名瀑[3]と称されることもある。中段部分からは十二滝と呼ばれる、表出した伏流水による無数の滝が簾状に並んで流れ落ち、直下型の華厳滝と相まって優れた景観を作りだしている。十二滝の水源は中禅寺湖から漏出したもので、年中を通して枯れることがない[4]。滝の下流部には華厳滝が形成した華厳渓谷が続いており、一説によれば太古の華厳滝は800mほど下流にあり、崩れやすい男体山の噴出物を浸食しながら現在の位置へと移動したと考えられている[2][5]。浸食は現代でも続いており、1986年(昭和61年)には滝口の一部が崩落している[6]
滝付近の大谷川北岸には観光客向けの有料の華厳滝エレベーターが設置されており、エレベーターで降りた観瀑台からは滝壷を正面間近に見ることができる。また、エレベーターの駐車場がある渓谷北岸から見下ろす位置にも観瀑台が設けられているほか、第二いろは坂の中腹から明智平ロープウェイが通じている明智平から眺めることもできる。やや遠方にある明智平の展望台からは、中禅寺湖や男体山を滝と共に一望することができる。
1931年、国の名勝に指定(「華厳瀑および中宮祠湖(中禅寺湖)湖畔」)。2007年、日本の地質百選に選定(「華厳の滝」)。

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