2014.12.09更新
西宮神社
西宮神社
所在地
兵庫県西宮市社家町1番17号
位置
北緯34度44分8.5秒 東経135度20分4.6秒
主祭神
西宮大神(
蛭子命
)
社格
等
県社・別表神社
本殿の
様式
春日造
札所等
神仏霊場巡拝の道
67番(兵庫2番)
例祭
9月22日
主な神事
十日戎
おこしや祭
誓文祭
西宮神社(にしのみやじんじゃ)は、
兵庫県
西宮市
にある
神社
である。
日本
に約3500社ある、
えびす神社
の総本社(名称:「えびす宮総本社」)である。地元では「西宮のえべっさん」と呼ばれる。なお、戎信仰については、えびすを
蛭子
と同一視する説の他にもいくつかの説が存在する
[1]
。
祭神の蛭児命は
伊弉諾岐命
と
伊弉諾美命
との間に生まれた最初の子である。しかし不具であったため葦の舟に入れて流され、子の数には数えられなかった。ここまでは
記紀神話
に書かれている内容であり、その後の蛭児命がどうなったかは書かれていない。当社の社伝では、蛭児命は西宮に漂着し、「夷三郎殿」と称されて海を司る神として祀られたという。
創建時期は不明だが、延喜
式内社
の「大国主西神社」に同定する説がある。現在、境内末社の大国主西神社が式内社とされているが、後述のように西宮神社自体を本来の式内大国主西神社とする説もある。だが
延喜式神名帳
では
菟原郡
となっており、西宮神社がある
武庫郡
ではなく、西宮神社にせよ現在の大国主西神社にせよ、式内社とするには一致しない。ただし武庫郡と菟原郡の境界は西宮神社の約200m西側を流れる
夙川
でありこの河道の変遷により古代は菟原郡に所属したとする説もある。
式内大国主西神社との関係がいずれとしても、
平安時代
には
廣田神社
の境外
摂社
であり「浜の南宮」または「南宮社」という名であった。
廣田神社
と神祇伯の
白川伯王家
との関係から頻繁に白川家の参詣を受けており、既に篤く信仰されていたことが記録に残っている。
平安時代末期、
廣田神社
の摂社として「夷」の名が初めて文献にあらわれるようになる。そのためこの頃から戎信仰が興ったとの説がある(同時期の
梁塵秘抄
にも、
諏訪大社
、
南宮大社
、
敢国神社
と共に、
廣田神社
の
末社
が南宮とされている)。この南宮が現在の西宮神社のことであり、
廣田神社
の境外摂社である「南宮神社」が現在でも西宮神社の境内にあるのはその名残りである。