2015.06.04更新
金蓮寺
弥陀堂
所在地
愛知県西尾市吉良町
饗場七度ヶ入1
位置
北緯34度48分33.72秒
東経137度4分22.26秒
山号
青龍山
宗派
曹洞宗
本尊
不動明王
創建年
不詳
開基
不詳
中興年
暦応
3年(
1340年
)
中興
足利尊氏
別称
あいば不動
札所等
三河三十三観音
27番
東海三十六不動尊20番
文化財
弥陀堂(国宝)
木造阿弥陀如来坐像
(県文化財)
金蓮寺(こんれんじ)は、
愛知県
西尾市
にある
曹洞宗
の寺院。山号は青龍山。本尊は
不動明王
。弥陀堂は
国宝
。
この寺の創建年代等については不詳であるが、もとは
真言宗
寺院光福寺の子院のひとつであったものを、
暦応
3年(
1340年
)
足利尊氏
が現在の場所に移し、青蓮山金蓮寺と号したという。
江戸時代
に入ると、この地の領主で
江戸幕府
の
旗本
である
吉良氏
の帰依を得、
寛政
年間(
1789年
-
1801年
)曹洞宗に改められた。
金蓮寺は
源頼朝
が三河守護
安達盛長
に建てさせた「三河七御堂」の一であるとの伝承があるが、現存する弥陀堂は頼朝の時代よりはやや下った鎌倉時代中期の建立である。堂は方三間(桁行3間、梁間3間)、寄棟造、檜皮葺き。平面形式は
中尊寺金色堂
に代表される一間四面阿弥陀堂の系譜を引くものであるが
[1]
、内陣には四天柱
[2]
を立てず、中心よりやや後退した位置に来迎柱を立て、来迎壁
[3]
を設け、その前に須弥壇がある。壇上には阿弥陀三尊像を安置する。方三間の主体部の前面一間通りと向かって右側面の後寄り2間分には孫庇を設け、これらの上の屋根は縋破風(すがるはふ)
[4]
とする。建物周囲にはさらに落縁をめぐらす。前述の2か所の孫庇のうち、右側面の部分は小部屋とする。正面側の孫庇は室内に取り込まれず、吹き放しとするが、外側の落縁よりは一段高く床板を張っている。柱上の組物は舟肘木を用い、柱間装置は正面3間をすべて蔀(しとみ)、側面と背面は板壁または板扉とする。垂木は地垂木を繁垂木(しげだるき)とし、飛檐垂木(ひえんだるき)は間隔を空けた疎垂木(まばらだるき)とする。この堂は、平面は平安期の阿弥陀堂の形式を基礎にしつつ、外観は蔀や疎垂木などに住宅風の意匠が用いられた特徴的な建築で、東海地方有数の古建築として貴重である。
[5]
[6]