2016.12.07更新
頼久寺
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慈眼視衆生
所在地
岡山県高梁市
頼久寺町18番地
位置
北緯34度47分50.7秒
東経133度37分8.2秒
山号
天柱山
宗派
臨済宗永源寺派
本尊
聖観世音菩薩
創建年
不詳
(
1339年
再興)
開基
寂室元光禅師
正式名
天柱山 安国頼久寺
札所等
備中西国第5番札所
瀬戸内観音霊場
13番札所
文化財
頼久寺庭園(国の名勝)
絹本著色釈迦三尊像
(国の重要文化財)
石灯篭(市文化財)
頼久寺(らいきゅうじ)は
岡山県
高梁市
にある
臨済宗永源寺派
の寺院。山号は天柱山。本尊は
聖観世音菩薩
(しょうかんぜおんぼさつ)。備中西国第五番札所、
瀬戸内観音霊場
第十三番札所となっている。
起源については不詳である。
1339年
(
暦応
2年)、
足利尊氏
により再興され、
備中国
の
安国寺
とされた。当時、中国より帰国した
寂室元光
禅師(正燈国師)を迎請して、開山第一祖とする。
永正
年間(
1504年
-
1521年
)、
備中松山城
城主、
上野頼久
が
大檀越
となり寺景を一新した。
1521年
(
大永
元年)、頼久が逝去したので、その2文字を加え、寺号を安国頼久寺に改称する。
1600年
(
慶長
5年)、
関ヶ原の戦い
で東軍についた功により
小堀正次
が備中国1万4千石に封じられ、
1604年
(慶長9年)に逝去したため子の
政一
(小堀遠州)が遺領を継いだ。この頃の備中松山城は
備中兵乱後
で荒廃していたため、政一は頼久寺を仮の居館とし、
1619年
(
元和
5年)の移封までここで過ごした。
境内
の
庭園
はこの頃の政一(遠州)により作庭されたもので、蓬莱式
枯山水庭園
である。
愛宕山
を
借景
に白敷砂の中央に鶴島、後方に亀島の2つの低い
築山
状の島を置いて石を組み、書院左手の山畔に沿って
サツキ
の大刈込みで
青海波
を表現している。このような築庭様式は、
安土桃山時代
から江戸初期にかけて盛んだったもので、現在まで当時に近い状態で保存されているのは貴重であるとされ、
1974年
(
昭和
49年)に国の
名勝
に指定された。