2015.02.12更新

信光明寺

【岡崎市岩津町字東山47】【0564-45-2100】
岩津山 信光明寺【しんこうみょうじ】
【弥勒山崇岳院信光明寺】
【浄土宗鎮西派】【本尊/阿弥陀如来坐像】
【法然三河3番】【参河國准四國69番】
 信光明寺の創建は宝徳3年(1451)、当時の岩津城の城主松平信光が祖父である親氏と父親である泰親の菩提を弔う為、釈誉上人を招いて開いたのが始まりとされます。信光は文明10年(1478)には現在の観音堂(当時の法堂)が建立し、文明17(1485)に信光が死去すると当寺に菩提が葬られました。戦国時代には武田勢の兵火により観音堂を除く多くの堂宇が焼失しましたが、江戸時代に入ると幕府から庇護され随時再建されています。特に信光明寺は大樹寺、高月院と共に三河三ヶ寺に数えられ慶長2年(1602)には寺領128石が寄進されています。宝暦9年(1795)、当時の住職一誉上人は将軍年頭御礼のため江戸へ下向する途中重病となり芭蕉天神に病気平癒の祈願をしたところ忽ち病状が回復し無事江戸に辿りつき務めを遂行出来たことから、その分霊を境内に勧請し社殿を造営しました。以来、神仏習合の形態でしたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により芭蕉天神は岩津天満宮として信光明寺から独立しています。観音堂は、文明10年当時のもので、入母屋、こけら葺、桁行3間、梁間3間、土間床、浄土宗の寺院としては最古の観音堂として大変貴重な存在で明治37年に国指定重要文化財に指定されています。