2014.03.22更新

生國魂神社

       生國魂神社

所在地 大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9
位置 北緯34度39分54.3秒 東経135度30分45.4秒
主祭神 生島大神
足島大神
社格 式内社(名神大)・官幣大社・別表神社
創建 伝・神武天皇年間(紀元前711年-紀元前585年
本殿の様式 生国魂造
札所等 神仏霊場巡拝の道48番(大阪7番)
例祭 9月9日
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区にある神社式内社で、旧社格官幣大社。難波大社(なにわのおおやしろ)ともいう。地元では生玉(いくたま)さんの通称で親しまれている。
生島(いくしま)大神・足島(たるしま)大神を主祭神とし、相殿に大物主大神を祀る。主祭神二神は宮中でも生島巫(いくしまのみかんなぎ)によって祀られ、歴代の天皇即位の際には国家の祭祀として二神を祀る八十島(やそしま)祭が行われた。

伝承によれば、神武東征の際に、神武天皇が難波碕(現在の上町台地)の先端に日本列島そのものの神である生島大神・足島大神を祀り、国家安泰を祈願したことに始まるという。『日本書紀孝徳天皇即位前紀には、天皇が難波宮造営に際して北隣する「生國魂社の樹(木)」を切ったとある。延喜式神名帳には「難波坐生國咲國魂神社 二座」と記載され、名神大社に列している。
1496年明応5年)に蓮如によって、のちに石山本願寺となる石山御坊の草庵が神域の一角に結ばれた。石山本願寺は豊臣期の大坂城詰之丸に存在したとされ、当社の最初の鎮座地は豊臣期の詰之丸付近に相当する、現在の天守閣周辺ということになる。
1580年天正8年)に石山合戦の戦火により焼失。1583年(天正11年)には豊臣秀吉による大坂城築城に際して現在地への移転が決定された。秀吉は300の社領を寄進して社殿を造営し、1585年(天正13年)に遷座された。このときに造営された社殿は「生国魂造」と呼ばれ、流造の屋根の正面の屋上千鳥破風唐破風さらにその上に千鳥破風と3重に破風を乗せるという独特の建築様式のものである。1615年元和元年)には大坂夏の陣の兵火にかかったが、徳川秀忠によって再建され、これまで通り300石の社領が寄進された。
明治維新期の神仏分離によって神宮寺法案寺真言宗)を境外へ分離。1912年明治45年)1月のミナミの大火により焼失し、翌年再建。1945年昭和20年)3月の第1回大阪大空襲により焼失し、4年後に再建されるも1950年(昭和25年)9月のジェーン台風により倒壊。社殿喪失が相次いだこともあって、1956年(昭和31年)に鉄筋コンクリート造りで再建された。