2014.05.24更新
龍安寺
石庭
所在地
京都府
京都市
右京区
龍安寺御陵下町13
位置
北緯35度2分4.18秒
東経135度43分5.71秒
山号
大雲山
宗派
臨済宗妙心寺派
本尊
釈迦如来
創建年
宝徳
2年(
1450年
)
開基
細川勝元
義天玄承
(開山)
文化財
方丈、太平記12冊(重要文化財)
方丈石庭(史跡・特別名勝)
庭園(名勝)
世界遺産
龍安寺(りょうあんじ)は、
京都府
京都市
右京区
にある
臨済宗
妙心寺派の寺院。石庭で知られる。
山号
を大雲山と称する。本尊は
釈迦如来
、開基(創立者)は
細川勝元
、開山(初代住職)は
義天玄承
である。「
古都京都の文化財
」として
世界遺産
に登録されている。
「龍安寺の石庭」として知られる
枯山水
の方丈石庭で有名な龍安寺は、
禅宗
が盛んだった
室町幕府
の
管領
、
守護大名
で、
応仁の乱
の東軍総帥でもあった細川勝元が
宝徳
2年(
1450年
)に創建した禅寺である。
衣笠山
山麓に位置する龍安寺の所在地は、
藤原北家
の流れを汲む
徳大寺実能
以来、
徳大寺家
の山荘であったところを、細川勝元が譲り受けたものである。初代住職として
妙心寺
5世住持の
義天玄承
(玄詔)を迎えた。龍安寺の開山は実質的にはこの義天玄承とされているが、義天自身は2世に退き、自分の師の
日峰宗舜
を開山に立てている。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、
京福電鉄
の線路の辺りまでが境内であったという。
龍安寺は、開基細川勝元自身が一方の当事者であった応仁の乱(1467-1477年)で焼失。勝元の子の
細川政元
と、4世住持・
特芳禅傑
によって長享2年(1488年)に再興された。寺では特芳を中興開山と称している。その後、
豊臣秀吉
と
江戸幕府
が寺領を寄付して保護している。
近世の地誌類によれば、最盛期の龍安寺には
塔頭
が21か寺、軒を連ねていたという(現存するものは3か寺)。『
都名所図会
』のような絵入りの名所案内書(現代の旅行ガイドブックに相当)を見ると、当時、龍安寺の池はオシドリの名所として知られており、今日有名な石庭よりもむしろ、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が著名であったらしい。
寛政
9年(1797年)の火災で仏殿など主要伽藍を焼失したため、塔頭の1つである西源院の
方丈
を移築して龍安寺の方丈(本堂)とした。
方丈庭園(史跡・特別名勝) - いわゆる「龍安寺の石庭」である。幅 22 メートル、奥行 10 メートルほどの敷地に白砂を敷き詰め、帚目を付け、15個の石を一見無造作に5か所、点在させただけのシンプルな庭である。巨大な中国の山水の世界を日本人独特の感性を研ぎ澄まして写した「枯山水」の庭である。最大の特徴は、「水を感じさせるために水を抜く」ということで、水を見立てられるようなものを作る。白砂も大海をイメージし、岩は島というより山である。近世の地誌類には、室町幕府に仕えた
相阿弥
の作庭と伝えるが、作者、作庭年代、表現意図ともに諸説あって定かでない。室町時代末期の作で特芳禅傑らの優れた禅僧によって作られたものとも伝えられる。
15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されているという。しかし、中の部屋から1ヶ所だけ15個の石全てが見える位置がある。
ハルト・バン・パンダ
と
マイケル・ライオンズ
によれば、それは方丈の間の中心であり、15の石の配置は、ここを根元とする「二分岐構造」になっているという。ただし、この程度の面積の庭に15個の石を並べれば、そのうちの1つは隠れて見えなくなるのはむしろ当然のことだとする意見もあり、これを表現意図とする考え方には賛否両論がある。なお、東洋では十五夜(満月)にあたる15という数字を「完全」を表すものとしてとらえる思想があり、15に1つ足りない14は「不完全さ」を表すとされている。また、日本には、
日光東照宮
の
陽明門
にみられるように、「物事は完成した時点から崩壊が始まる」という思想があり、建造物をわざと不完全なままにしておくことがある。
この庭には近世以来「虎の子渡しの庭」の別称がある。この庭を「
虎の子渡し
」という中国の説話と結び付けるのは伝承にすぎないが、参考までに説話の概略を以下に示す。
虎は、3匹の子供がいると、そのうち1匹は必ずどう猛で、子虎だけで放っておくと、そのどう猛な子虎が他の子虎を食ってしまうという。そこで、母虎が3匹の虎を連れて大河を渡る時は次のようにする。母虎はまず、どう猛な子虎を先に向こう岸に渡してから、いったん引き返す。次に、残った2匹のうち1匹を連れて向こう岸に行くと、今度は、どう猛な子虎だけを連れて、ふたたび元の岸に戻る。その次に、3匹目の子虎を連れて向こう岸へ渡る。この時点で元の岸にはどう猛な子虎1匹だけが残っているので、母虎は最後にこれを連れて向こう岸へ渡る。つまり、3匹の子虎を渡すのに3往復半する訳である。龍安寺の石庭はこの様子を表したものだという訳である。
イギリス
の
エリザベス女王
が1975年に日本を公式訪問した際、石庭の見学を希望。女王が石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道された。そのため昨今では世界各地での日本のZEN(
禅
)ブームと相俟って日本人より海外の観光客の来訪者の比率が高いといわれている。