2015.07.10更新

千栗八幡宮

       千栗八幡宮


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所在地 佐賀県三養基郡みやき町
大字白壁字千栗
位置 北緯33度19分53.1秒
東経130度28分43.4秒
主祭神 応神天皇
仲哀天皇
神功皇后
社格 肥前国一宮
国幣小社
別表神社
創建 神亀元年(724年
本殿の様式 入母屋造
札所等 五所別宮
例祭 9月15日(放生会)
主な神事 粥祭(3月15日
千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)は、佐賀県三養基郡みやき町にある神社肥前国一宮旧社格国幣小社で、現在は神社本庁別表神社
『鎮西要略』によれば、神亀元年(724年)、当時の肥前国養父郡司・壬生春成が八幡神の神託を受けて千根(ちこん)のが生えている地に社を建てて八幡神を祀ったとされる。
太宰管内志』に引用された『外部局日記』によれば、長保元年(999年)、八幡大菩薩千栗宮から油が湧出し、朝廷に献上された。
承平年間(931年 - 938年)に宇佐八幡宮の別宮となったとみられ、以後その五所別宮の一として崇敬を受けた[1]
南北朝時代には当宮の西に千栗城が築かれ、戦国時代には神域も度々戦乱に巻き込まれ幾度か社殿も焼失したが、後に領主龍造寺氏鍋島氏によって社殿の再興、社領の寄進が行われた。
平安時代後期より肥前国一宮を称してきたが、近世になって式内社・河上神社(現 與止日女神社)との間で一宮の称が争われた。