2014.06.12更新

嵯峨天皇皇女有智子内親王墓

有智子内親王(うちこないしんのう、大同2年(807年) - 承和14年10月26日847年12月7日))は、第52代嵯峨天皇の第8皇女 。母は交野女王平安時代初期の皇族漢詩人。初代賀茂斎院
大同4年(809年)、父の嵯峨天皇が即位。弘仁元年(810年)、4歳で賀茂斎院に卜定される。同9年、斎院司開設。同14年(823年)2月、三品に叙され100戸を賜る。同年4月、嵯峨天皇が退位する。天長8年12月6日(832年1月16日)、病により退下。同10年(833年)、二品に昇叙。承和14年(847年)死去。享年41。
有智子内親王は弘仁元年(810年)の薬子の変をきっかけに、初代賀茂斎院に定められたと言われる。嵯峨天皇の皇子女の中でも豊かな文才に恵まれた皇女で、弘仁14年(823年)嵯峨天皇が斎院へ行幸した際に優れた漢詩をものしたことから、感嘆した天皇は内親王を三品に叙したという。その詩作は『経国集』などに合計10首が遺されており、日本史上数少ない女性漢詩人の一人である。
陵墓京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町、落柿舎の隣。