2016.09.16更新
願成就院
トップページへ戻る
阿弥陀如来
所在地
静岡県伊豆の国市寺家83-1
位置
北緯35度2分44.43秒
東経138度56分23.65秒
山号
天守君山
宗派
高野山真言宗
本尊
阿弥陀如来
創建年
文治
5年(
1189年
)
開基
北条時政
札所等
中伊豆三十三観音18番
文化財
阿弥陀如来坐像、不動明王二童子立像・毘沙門天立像(国宝)
地蔵菩薩坐像(重要美術品)
国の史跡
願成就院(がんじょうじゅいん)は、
静岡県
伊豆の国市
にある、
高野山真言宗
の
寺院
。山号は天守君山。境内は国の
史跡
に指定されている。仏師
運慶
の数少ない真作の一つである阿弥陀如来坐像などの仏像を安置する。
『
吾妻鏡
』によると、
文治
5年(
1189年
)に
北条政子
の父親で
鎌倉幕府
初代執権であった
北条時政
が、娘婿の
源頼朝
の奥州平泉討伐の戦勝祈願のため建立したという。ただし、寺に残る運慶作の諸仏はその3年前の文治2年(1186年)から造り始められており、奥州征伐の戦勝祈願のためというよりは、
北条氏
の
氏寺
として創建されたものと考えられている。
『吾妻鏡』には、嘉禎2年(1236年)までの間、願成就院の仏堂、塔などの伽藍造営に関する記事が散見され、北条時政とその子
義時
、孫の
泰時
の代にかけて次々に伽藍は拡大したことがわかる。現境内の北方、住宅地を挟んで500メートルほど離れた位置に礎石などの遺構が確認されており、同遺構と現境内の間には苑池の跡も見出された。全盛期には巨大な池とその中の小島を橋でつなぎ、多くの堂宇や塔がそびえ立つ、
藤原時代様式
の壮大な伽藍を誇る
伊豆
屈指の大寺院として栄華を誇った。
しかし
延徳
3年(
1491年
)に
北条早雲
による動乱で願成就院はほぼ全焼し、僅かに再建された堂宇も後年の
豊臣秀吉
の
小田原征伐
の際に再び全焼、本尊を始めとする仏像数躯は僧侶らの手によって運び出され焼失は免れたが多くの寺宝は灰燼に帰し、願成就院は事実上壊滅した。
しかし
江戸時代
に北条の末裔、
北条氏貞
が再建し、現在の遺構はほぼその当時のものである。現存する茅葺の本堂は、棟札から寛政元年(1789年)の建立とわかる。
昭和
30年代には本堂横に大御堂が建立された。現在は小さな境内であるが、裏山一帯は往時の願成就院の敷地であった。