2014.12.07更新

建部大社

        建部大社

所在地 滋賀県大津市神領一丁目16-1
位置 北緯34度58分24.60秒
東経135度54分48.62秒
主祭神 日本武尊
大己貴命
社格 式内社名神大
近江国一宮
官幣大社
別表神社
創建 (伝)第12代景行天皇46年
本殿の様式 一間社流造
札所等 神仏霊場巡拝の道145番
(滋賀13番)
例祭 4月15日
主な神事 船幸祭(8月17日
建部大社(たけべたいしゃ)は、滋賀県大津市にある神社式内社名神大社)、近江国一宮旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。旧称は「建部神社」。
社伝では、日本武尊の死後の景行天皇46年、日本武尊の妃・布多遅比売命が神勅によって、御子・建部稲依別命とともに住んでいた神崎郡建部郷千草嶽(現在の東近江市五個荘伊野部町付近の箕作山)の地に日本武尊を「建部大神」として祀ったのが創建とされる[2]。建部郷の「建部」の名は日本武尊をしのんで名代として名付けられたことに因むといい、他にも各地に設けられている。のち、天武天皇4年(675年)に近江の守護神として、現在地の栗太郡勢多へ遷座したという。遷座後、元の千草嶽の麓には神護景雲2年(768年)に聖真大明神と建部大明神が設けられたとされ、現在は建部神社が建てられている。
天平勝宝7年(755年)には、大己貴命大神神社から勧請され、権殿に祀られたという。
平安時代中期の『延喜式神名帳には近江国栗太郡に「建部神社 名神大」と記載されて名神大社に列している。その後、近江国の一宮として崇敬された。
源頼朝平治の乱に敗れて伊豆国に流される道中、本社に立ち寄って源氏の再興を祈願、後に大願成就したことから、出世開運の神としても著名となった。
明治4年(1871年近代社格制度において「建部神社」として県社に列格され、同18年に官幣中社、同33年に官幣大社となった。戦後昭和23年(1948年)には神社本庁の別表神社となり、社名を「建部大社」とした。
なお、昭和20年8月、日本で初めて作られた千円紙幣甲号券)の図柄に日本武尊と当社本殿が使用された。