2015.04.06更新
興禅寺
所在地
栃木県
宇都宮市
今泉3-5-13
位置
北緯36度33分52秒
東経139度53分44秒
山号
神護山
宗派
臨済宗妙心寺派
本尊
釈迦如来
創建年
1314年
(
正和
3年)
開基
宇都宮貞綱
、真空(開山)
正式名
神護山 興禅寺
文化財
木造釈迦如来像(市指定)
興禅寺(こうぜんじ)は、
栃木県
宇都宮市
今泉三丁目にある
臨済宗妙心寺派
の
寺院
である。山号は神護山。本尊は釈迦如来。勧請開山は
高峰顕日
(仏国国師)、開山は真空妙応禅師、開基(創立者)は
宇都宮貞綱
。寺域は河北禅林と呼ばれる。
興禅寺は、
宇都宮氏
8代目当主である
宇都宮貞綱
が、かつて
黒羽
雲巌寺
で第五世住職をしていた真空妙応禅師のために、
1314年
(
正和
3年)、地蔵堂があったこの地に寺院を建立して興禅寺としたのが始まりとされる。真空はその後、宇都宮貞綱の弟・
宇都宮泰宗
の子である
宇都宮貞泰
に招かれ、
伊予国
大洲
に冨士山如法寺および横松山西禅寺を開山したとされる。
室町時代
には宇都宮氏の興隆とともに隆盛を誇ったが、
1549年
(
天文
18年)、
喜連川五月女坂の戦い
において第20代当主
宇都宮尚綱
が敗死すると、これに乗じた壬生勢が
宇都宮城
下に乱入して占拠、この折の戦火で焼失してしまう。第21代当主
宇都宮広綱
によって復興するものの、第22代当主
宇都宮国綱
が
豊臣秀吉
によって領地を剥奪されたのに伴い、当寺も一時廃寺となった。
江戸時代
に入って
奥平家昌
が宇都宮城主となるとその勧請を受けて復興され、家昌・
忠昌
の
奥平氏
父子2代が菩提寺としている。なお、江戸時代の仇討ちの1つで知られる
浄瑠璃坂の仇討
とは、忠昌の子である
昌能
の在藩中における当寺での刃傷事件(
宇都宮興禅寺刃傷事件
)が発端となっている。
その後は、
明治維新
時の
戦火
や
太平洋戦争
においても大過無く、現在に至っている。
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