2015.07.26更新

戸隠神社奥社&九頭龍社

        九頭龍社


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        戸隠神社

所在地 長野県長野市戸隠3690
位置 北緯36度45分55.94秒
東経138度3分43.28秒
主祭神 天手力雄命
戸隠神社(とがくしじんじゃ)は、長野県長野市北西部の戸隠山周辺に、五社を配する神社である。
一説には現在の奥社の創建が孝元天皇5年(紀元前210年)とも言われるが、縁起によれば飯縄山に登った「学問」という僧が発見した奥社の地で最初に修験を始めたのが嘉祥2年(849年)とされている。
また日本書紀天武紀には684年三野王(美努王)を信濃に派遣し地図を作らせ、翌685年に朝臣3人を派遣して仮の宮を造らせたとある。
そして書紀には持統天皇691年に使者を遣わし、信濃の国の須波水内などの神を祭らせたとされていて、この水内の神が戸隠神社とする説もある。
各社の主祭神は、地主神である九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)以外は「天照大神(あまてらすおおみかみ)が、弟である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の度重なる非行を嘆いて天岩戸(あまのいわと)に隠れたため、この世に暗黒と悪神がはびこった」とされる神話にまつわる神であるが、それぞれがいつ頃から現在の祭神を祀るようになったかは必ずしも明らかでない。しかし他の多くの神仏習合の神社とは異なり、祭神は江戸時代以前から変わっていない。
九頭龍社(くずりゅうしゃ):祭神は九頭龍大神。奥社のすぐ下にあり境内社のようになっているが創建は奥社より古くその時期は明らかでない。地主神として崇められている。戸隠山には「戸隠三十三窟」といわれる洞窟が点在し、その「龍窟」にあたる。本殿から本殿右手上の磐座の上まで廊下が続いており、そこが「龍窟」となる。古くは雨乞い、縁結びの他、虫歯・歯痛にご利益があると言われていた。氏子の人によると戸隠の九頭龍大神は梨が好物だそうである。
奥社(おくしゃ):祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神。神話では天手力雄命が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山であるとされる。中社から車で2.5kmほど車道を登った後、まっすぐ続く約2kmの参道(車両進入禁止)を登りきった場所にある。途中に赤い「随神門(山門)」があり、その奥は17世紀に植えられたとされる並木になっている。神仏分離以前は随神門より奥の参道左右に子坊が立ち並んでいた。旧奥院。廃仏毀釈までは聖観音菩薩(現在は千曲市長泉寺本尊、仁王尊像は長野市寛慶寺)を祀っていた。戸隠三十三窟「本窟」・「宝窟」と言われる中心となる窟が奥社本殿内部にあるが、非公開なので内部に何があるのかは秘密とされている。
現在の奥社、中社、宝光社の3院は天台系であり、これと激しく抗争して約500年前に滅亡したとされる西光寺など真言系の寺院が存在していた事も知られている。