2015.04.05更新
深川不動堂
不動明王
不動明王
所在地
東京都
江東区
富岡
1丁目17番13号
位置
北緯35度40分22.5秒 東経139度47分54秒
山号
成田山
宗派
真言宗智山派
本尊
不動明王
創建年
元禄
16年(
1703年
)
正式名
成田山 東京別院 深川不動堂
別称
深川不動尊
札所等
関東三十六不動
20番
文化財
旧本堂(江東区有形文化財)ほか
成田山 東京別院 深川不動堂(なりたさん とうきょうべついん ふかがわふどうどう)は、
東京都
江東区
富岡
にある
真言宗智山派
成田山新勝寺
の東京別院。通称は深川不動尊、深川不動堂。
江戸時代
のはじめ、
歌舞伎
役者の
市川團十郎
が
不動明王
が登場する芝居を打ったことなどにより、成田山の不動明王を拝観したいという気運が江戸っ子たちのあいだで高まった。これを受けて、元禄16年(
1703年
)、1回目の成田不動の「出開帳」(現代風にいえば「秘仏特別公開」)が
富岡八幡宮
の別当・
永代寺
で開かれた。これが深川不動堂の始まりである。江戸における成田不動の出開帳は安政3年(
1856年
)まで、江戸時代を通じて12回行われたが、そのうち1回を除いて深川永代寺が会場となった
[1]
。
永代寺は明治維新後、
神仏分離令
により廃寺となり、旧境内は
深川公園
となった。しかし不動尊信仰は止むことがなく、
明治
11年(
1878年
)に現在の場所に成田不動の分霊を祀り、「深川不動堂」として存続することが東京府により認められた。境内地は、深川公園の一部を永久かつ無償で借用することが認められたものである。明治14年(
1881年
)に本堂が完成。その後本堂は
関東大震災
・
東京大空襲
と二度にわたって焼失したが、本尊は焼失を免れた。永代寺は門前にあった塔頭・吉祥院が明治29年(
1896年
)に再興され、名跡を継いだ
[2]
。なお、地名「
門前仲町
」は「永代寺の
門前町
」という意味である。