2016.10.31更新
五百羅漢寺
去蓋障尊
五百羅漢尊
五百羅漢寺(ごひゃくらかんじ)は東京都目黒区下目黒にある寺院。宗派はかつて黄檗宗だったが現在は浄土宗系の単立。山号は天恩山。開基は松雲元慶、開山は鉄眼道光、本尊は釈迦如来。
300体以上の羅漢像を祀っている(当初は536体あった)。当初は本所五ツ目(現在の東京都江東区大島)に在り、徳川綱吉や吉宗が支援したが、埋め立て地にあったためか度々洪水に見舞われて衰退し、明治時代に目黒の現在地に移転した。なお、法人としての名称は「宗教法人羅漢寺」であるが、境内の寺名表示、公式サイトやパンフレット等での表記は「五百羅漢寺」となっているので本項では「五百羅漢寺」の表記を用いる。
当寺の五百羅漢像は開基の松雲元慶(1648 - 1710)が独力で彫り上げたものである。松雲は京都の出身で、「鉄眼版一切経」で知られる黄檗宗の僧・鉄眼道光に師事した。松雲はある時、豊前国の羅漢寺(大分県中津市本耶馬渓町)の五百羅漢石像を見て、自らも五百羅漢の像を造ることを発願した。貞享4年(1687年)、40歳で江戸に下向した松雲は托鉢で資金を集め、独力で五百羅漢像など536体の群像を造る。羅漢寺の創建は元禄8年(1695年)のことで、松雲が開基、師の鉄眼が開山と位置づけられている。当時の羅漢寺は本所五ツ目(現在の東京都江東区大島3丁目)にあった。彫像は当初は536体あったが、近代以降、寺の衰退時に多くが失われ、羅漢像287体を含む305体が現存している。
境内は比較的狭く、大部分が近代的なビルになっている。公道に面して鉄筋コンクリート3階建てのビルが建ち、この中に寺務所、書院、聖宝殿(しょうほうでん)などのほか、目黒霊廟(一般向けの屋内墓所)がある。聖宝殿には寺宝や歴史資料が展示されている。屋上には安永3年(1774年)銘の梵鐘(平和の鐘)や、悪夢を食うとされる獏王の像などがある。
上記ビルの右脇に本堂へ上る階段がある。階段右手には飲食店の「らかん亭」と「らかん茶屋」があり、階段を上った先の右側には「コ」の字形平面の羅漢堂、その先に本堂がある。本堂には本尊釈迦三尊像を中心に羅漢像などが安置され、残りの羅漢像は羅漢堂に安置されている。