当山総鎮守開運威光稲荷尊天は西暦八百余年、慈覚大師当地に行脚の途中武蔵野の地雑司ヶ谷の森より一条の光明を見つけ、辿りついたる所に素晴しい御姿をした、稲荷尊神が現れ、その光明の強き事から、威光稲荷大明神と銘名し堂宇を建立し御安置したのが始まり也。 その後星霜数百年を経て日蓮上人の孫弟子中老僧日源上人に依りて日蓮宗に法明寺が改宗されると同時に法華経の御題目が唱題され、その御威光益々輝き、爾来今日迄大願をかけて救われたる善男善女数知れず。 しかし本殿は戦災にて焼失し、仮宮にて御祀りあった御尊躰も時機を得て東京都板橋区大原町に住む石川幸作氏を選びて壱基建立なさしめ、堂内荘厳具は開元講を始めとして一般信徒に託して、内に御威光秘めたる荘厳な本殿に変り今日の隆盛を見るに至れる。善男善女の祈願満足、福智円満の大願叶う可く生まれ変りたる稲荷尊神堂の所以を、茲に録し後葉にこの事蹟を伝えんと欲畢