2014.06.05更新
今戸神社
今戸神社
福禄寿
所在地
東京都
台東区
今戸
1丁目5-22
位置
北緯35度43分09.50秒
東経139度48分12.70秒
主祭神
応神天皇
、
伊弉諾尊
、
伊弉冉尊
、
福禄寿
社格
等
村社
創建
康平
六年(
1063年
)
別名
今戸八幡
例祭
6月第一土日
今戸神社(いまどじんじゃ)は、
東京都
台東区
今戸
一丁目にある神社である。
祭神として、
応神天皇
・
伊弉諾尊
・
伊弉冉尊
・
福禄寿
を祀っている。
今戸神社は、康平6年(
1063年
)
源頼義
・
義家
親子が
奥州
討伐の折、
京都
の
石清水八幡宮
を当地に勧進し、祈願したのが始まりであるといわれている。また永保元年(
1081年
)にも
清原武衡
・
家衡
討伐の際に当地を通り、戦勝祈願をしたといわれている。
大正
12年(
1923年
)
9月1日
の
関東大震災
や
太平洋戦争
の際、
米軍
の
爆撃機
B-29
が
昭和
20年(
1945年
)
3月10日
に
焼夷弾
を投下したり(
東京大空襲
)など数々の戦乱や火災に見舞われたが、その都度再建され、現在の社殿は
1971年
(昭和46年)に再建されたものである。
1937年
(昭和12年)には隣接していた白山神社を合祀し、今戸八幡と呼ばれていた当神社が現在の今戸神社と呼ばれるようになった。また現在では
浅草七福神
のひとつ
福禄寿
も祀っている。
今戸神社は、近年になって
招き猫
発祥の地のひとつとして名乗りをあげた。
[1]
。伝わっているところによると、
江戸時代
末期、界隈に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその
猫
が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の
人形
を
今戸焼
の焼き物にして浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったという。(
今戸焼
丸〆猫
参照)これが招き猫の発祥ともいわれているが当時の記録では具体的に招き猫と今戸神社(旧今戸八幡)との結びつきを示すものは確認されていない。近年の招き猫ブームによって今戸神社は招き猫発祥の地として看板を掲げるようになり多くの招き猫が奉られるようになった。本殿や境内に安置されている招き猫の形状は江戸明治の今戸焼の招き猫とは形状の全く異なるものなので、考証的には伝統的なものとの関わりのない平成の創作として見る必要がある。
また、焼物として使うこの土地の
粘土
が良質のものだったことから、
今戸焼
が栄えたこともある。