2014.04.24更新
烏森神社
烏森神社
社伝によれば、天慶3年(940年)、平将門が乱を起こした時、鎮守府将軍藤原秀郷(俵藤太)が武蔵国のある稲荷神社に戦勝を祈願したところ、白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えた。その矢によって速やかに乱を鎮めることができたので、それに感謝してどこかに稲荷神社を創建しようと考えていた所、秀郷の夢に白狐が現れ、神鳥が群がる場所が霊地であるとお告げした。秀郷が現在地である桜田村の森に来た所、お告げの通り烏が群がっていたので、そこに神社を創建したのが当社の始まりであるという。
江戸時代の稲荷ブームの際には、初午の稲荷祭の賑わいは《江戸で一二を争うものであった》という(境内案内板における山田將夫宮司の説明、1971年)
新橋には他に日比谷神社があり、大祭は日比谷神社と交互に隔年で行われる。当神社の大神輿は1930年に名人・山本正太郎(通称だし鉄)によって作られた巨大なもの。「だし鉄の最高傑作とも言われている」と境内案内チラシにある。
境内に木遣塚あり。また「心願色みくじ」なるものが頒布されている。