2017.03.01更新
輪王寺
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厄除 両大師
所在地
東京都台東区上野公園14-5
位置
北緯35度43分1.72秒 東経139度46分39.68秒
山号
東叡山
宗派
天台宗
寺格
門跡
寺院
本尊
阿弥陀如来
創建年
正保
元年(
1644年
)
別称
両大師、開山堂
文化財
寛永寺旧本坊表門(国の重要文化財)
天海僧正坐像(都文化財)
輪王寺(りんのうじ)は
東京都
台東区
に所在する寺院。宗派は
天台宗
。山号は東叡山。本尊は
阿弥陀如来
。一般には通称の「両大師」で知られる。この通称は
天海
(慈眼大師)と
良源
(慈恵大師、元三大師)を祀ることに由来する。
輪王寺(両大師)は、
上野公園
内、
東京国立博物館
の東側に位置する。上野公園の敷地は元は天台宗別格大本山
寛永寺
の境内地であり、公園中央の大噴水の位置に
根本中堂
、東京国立博物館の位置に本坊があった。輪王寺はもと寛永寺の伽藍の一部で、開山堂または慈眼堂と称されていた。
江戸時代
前期の
承応
3年(
1654年
)
後水尾天皇
第3皇子の
守澄法親王
が
寛永寺
の第3代貫主となり
日光山
主を兼任した。翌年の
明暦
元年(
1655年
)には
天台座主
を兼ねることとなった。同年、日光山の満願寺は後水尾上皇の院宣により
輪王寺
と改称し守澄法親王が住持となった。守澄法親王は、天台座主、寛永寺貫首、日光山主の「
三山管領宮
」となり「輪王寺宮」または「輪王寺門跡」と呼ばれた。以後、
幕末
まで
皇族
が
関東
に下向し輪王寺宮となった。
戊辰戦争
の後、15世輪王寺宮の
公現法親王
は還俗となり、輪王寺宮は廃絶された。
寛永寺の開山・
天海
(慈眼大師)は
寛永
20年(
1640年
)に死去し、翌
正保
元年(
1644年
)、現・輪王寺の地に天海を祀る開山堂が建てられた。天海が崇敬する
良源
(慈恵大師、元三大師)を併せ祀ったことから「両大師」と呼ばれるようになった。
日光の輪王寺は
明治
初年の
神仏分離
後に旧名の満願寺となっていたが、明治16年(
1883年
)に輪王寺の寺号復称が許可され、2年後の明治18年(
1885年
)には「輪王寺門跡」の称号が復活した。
開山堂は
慶応
4年(
1868年
)の
上野戦争
では焼け残ったが、
平成
元年(
1989年
)に火災に遭い、
天明
元年(
1781年
)再建の開山堂と
寛政
4年(
1792年
)再建の本堂が焼失した。現在の本堂は平成5年(
1993年
)に再建されたものである。
境内西側に本堂(1993年再建)、東側に輪王殿(斎場)がある。輪王殿の手前には西隣の東京国立博物館敷地から移築した寛永寺旧本坊表門(重要文化財)が建つ。本堂前の鐘楼に懸かる梵鐘は
慶安
4年(
1651年
)の製作。本堂前の参道左右の銅燈籠はもと上野の大猷院(
徳川家光
)霊廟に奉納されたものである。
寛永寺旧本坊表門は、切妻造り本瓦葺、潜門付きの薬医門である。通称・黒門。現在の
東京国立博物館
の敷地はもと寛永寺本坊であり、その正面にあった門である。明治15年(
1882年
)東京国立博物館の前身である博物館が上野公園に移転・開館した際にその正門として使用された。
関東大震災
の後、博物館改築に伴い現在地に移築された。門扉には上野戦争の際の弾痕がある。なお、寛永寺入口にあった「黒門」(荒川区
円通寺
に移築)とは別の門である。
昭和
21年(
1946年
)11月29日指定。平成元年(1989年)の火災の際は焼失をまぬがれた。