2016.10.25更新
瀧泉寺(目黒不動尊)
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ゑ比寿神
聖観世音
不動明王
瀧泉寺(りゅうせんじ)は、
東京都
目黒区
下目黒
にある、
天台宗
の
寺院
。山号は泰叡山(たいえいざん)。
不動明王
を本尊とし、一般には目黒不動(目黒不動尊)の通称で呼ばれる。
江戸三大不動
・
江戸五色不動
の一つ。
江戸三十三箇所
第33番札所。
関東三十六不動
第18番。「目黒」の地名はこの目黒不動に由来する、とする説もある。
青木昆陽
の墓があることでも知られる。
寺伝では、808年(大同3年)
円仁
が
下野国
から
比叡山
に赴く途中に
不動明王
を安置して創建したという。東国には円仁開基の伝承をもつ寺院が多く、本寺の草創縁起もどこまで史実を伝えるものか不明である。860年(貞観2年)
清和天皇
より「泰叡」の勅額を下賜され、山号を泰叡山とした。1615年(元和1年)本堂が
火災
で焼失した。1630年(寛永7年)
寛永寺
の子院・
護国院
の末寺となり、
天海大僧正
の弟子・
生順大僧正
が兼務するようになった時、
徳川家光
の庇護を受けて、1634年(寛永11年)50棟余におよぶ伽藍が復興し、「目黒御殿」と称されるほど華麗を極めた。1812年(文化9年)「江戸の三富」と呼ばれた「
富くじ
」が行われた(他は
湯島天満宮
、
谷中感応寺
)。富くじ興行は1842年(天保13年)
天保の改革
により中止となった。寺名の由来となった、境内の
独鈷
の滝(とっこのたき)を浴びると病気が治癒するとの信仰があった。
江戸時代
には一般庶民の行楽地として親しまれ、
江戸名所図会
にも描かれている。また、
落語
の
目黒のさんま
は、この近辺にあった参詣者の休息のための茶屋(爺が茶屋)が舞台だとされる。
江戸時代には大いに栄え、門前町が発達した。門前町の名物として、当時目黒の名産品であった竹の子(江戸後期に薩摩藩より移植したものが商品作物として普及)を使った竹の子飯と棒状に伸ばした練飴(白玉飴)を包丁でトントン切っていく目黒飴が人気であった。また、餅花という細い竹にしんこ餅を付けた物や粟餅などもあったという。江戸名所図会にはこの目黒飴屋の風景が載っていて、図会に載っている絵では従業員が10人近くみられる大店であったことがうかがえる。
境内は台地と平地の境目に位置し、仁王門などの建つ平地と、大本堂の建つ高台の2段に造成されている。仁王門をくぐると正面に大本堂へ至る急な石段がある。石段下の左方には独鈷の滝(とっこのたき)、前不動堂、勢至堂などがあり、右方には書院、地蔵堂、観音堂、阿弥陀堂などがある。
所在地
東京都目黒区
下目黒3-20-26
位置
北緯35度37分43秒
東経139度42分29秒
山号
泰叡山
宗派
天台宗
本尊
不動明王
創建年
伝・808年(大同3年)
開基
伝・
円仁
正式名
泰叡山瀧泉寺
別称
目黒不動尊
札所等
江戸五色不動
江戸三十三箇所
33番
関東三十六不動
18番
元祖山手七福神
(
寿老人
)
文化財
青木昆陽墓(国の
史跡
)ほか