2014.04.25更新

不忍池弁天堂

       不忍池弁財天

不忍池弁天堂(しのばずのいけ べんてんどう)
寛永寺建立の寛永2年(1625)の頃,不忍池の中にあった小島に接して中島が築かれた。江戸の比叡山の役割を担うため上野の寛永寺が建立されたが,比叡山に対する琵琶湖に準えたのが不忍池で,琵琶湖の竹生島に匹敵する弁財天が祀ってある島が必要であった。不忍池の弁財天は,もともと天台宗の開祖最澄・伝教大師の弟子円仁・慈覚大師が造ったと言われている。それを徳川家康のブレーンであり,寛永寺の草創者である天海僧正・慈眼大師が,あらたに中島を造り,弁天の祠を移させたものだ。もともと中島は島であり,できた当初は舟で島を渡っていたという。島ができて40年後に舟を使わずに参拝できるようになった。