2015.08.03更新
水天宮
宝生弁財天
東京水天宮
所在地 | 東京都中央区日本橋蛎殻町二丁目4番1号 |
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位置 | 北緯35度41分1秒 東経139度47分6秒 |
主祭神 | 天御中主神 安徳天皇 高倉平中宮 二位の尼 |
社格等 | 無格社 |
創建 | 文政元年(1818年) |
札所等 | 日本橋七福神(弁財天) |
例祭 | 5月5日 |
水天宮(すいてんぐう)は、東京都中央区にある神社である。
福岡県・久留米市にある久留米水天宮の分社で、祭神は久留米水天宮と同じ天御中主神・安徳天皇・高倉平中宮(建礼門院、平徳子)・二位の尼(平時子)である。
江戸時代より安産・子授けの神として人々から厚い信仰を集める。妊婦や子供を授かりたい夫婦あるいは無事出産できた夫婦などが、安産や子授かりの願掛けやお礼参りなどで人並みが途絶えることがない。
現在は社殿改築のため、日本橋浜町に仮宮が設けられている。
久留米の水天宮は久留米藩歴代藩主(有馬家)により崇敬されていたが、文政元年(1818年)9月、9代藩主有馬頼徳が江戸・三田の久留米藩江戸上屋敷に分霊を勧請した。これが江戸の水天宮の始まりである。藩邸内にあったため一般人の参拝が難しかったが、江戸でも信仰者の多い水天宮への一般参拝の許可を求める伺書を幕府へ提出、幕府のこうした事例は関与しないとの見解を得た上で、同年から毎月5の日に一般開放された。その人気ぶりは「情け有馬の水天宮」という地口も生まれたほどであった。有馬家の会計記録には「水天宮金」という賽銭や奉納物、お札などの販売物の売上項目があり、その金額は安政年間の記録で年間2000両に上り、財政難であえぐ久留米藩にとって貴重な副収入だった。
明治4年(1871年)、有馬家屋敷の移転とともに赤坂に遷座し、翌明治5年(1872年)、有馬家中屋敷のあった現在の日本橋蛎殻町二丁目に移転した。
平成25年(2013年)3月1日、日本橋浜町の明治座そばに仮宮が設けられ遷座された(地鎮祭が執行されたのは平成24年〔2012年〕9月20日)。これは少なくとも、昭和40年代初期にかさ上げ工事をして二階建てとなって以来、ほぼ半世紀ぶりの遷座である。新社殿の完成は平成28年(2016年)の予定[1]。
有馬家との縁は続いており、2013年現在の宮司有馬頼央は、有馬家の当主である。