2015.04.05更新
富岡八幡宮
富岡八幡宮
恵比須神
所在地
東京都
江東区
富岡
1丁目20番3号
位置
北緯35度40分19秒 東経139度47分58.6秒
主祭神
品陀和気命
他八柱
社格
等
旧府社、別表神社
創建
寛永
4年(
1627年
)
例祭
8月15日
主な神事
粟島神社献針祭、七渡神社例祭、
富士浅間神社例祭他
富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)は、
東京都
江東区
富岡
にある
八幡神社
。別名を「深川八幡」ともいう。
建久年間に源頼朝が勧請した
富岡八幡宮
(横浜市金沢区富岡)の直系分社である。
大相撲
発祥の地。氏子区域は、
江東区
の
深川地域
中南部と
中央区
の
日本橋箱崎町
および
新川
である。
1624年
(
寛永
4年)、長盛法師が神託により砂州であった当地を干拓し、永代島に八幡宮を建立したことが創建とされるが、横浜市の富岡八幡宮の八幡宮明細帳(
1893年
(
明治
26年))では、江戸時代初期に行なわれた
深川
の
干拓
が難航したため、波除八幡の異名をもつ富岡八幡宮を分霊したとの記録が残る
[1]
。創建当時は「永代八幡」と呼ばれ、砂州の埋め立てにより60,508坪の社有地があった。
八幡大神を尊崇した
徳川将軍家
の保護を受け、庶民にも「深川の八幡様」として親しまれた。広く美麗な庭園は人気の名所であったという。
なお、長盛法師は同じ地に
別当寺院
として
永代寺
も建立している。
当社の周囲には
門前町
(現在の
門前仲町
)が形成され、干拓地が沖合いに延びるにつれ商業地としても重要視された。
明治維新後の
社格
は、
准勅祭社
とされ、同制度の廃止後は
延喜式神名帳
に記載がないため
府社
とされたが、皇室の尊崇を受け続けた。
永代寺については、
神仏分離令
によって廃寺。現在の永代寺は、
1896年
(明治29年)に再建されたものである。
1945年
(
昭和
20年)
3月10日
の
東京大空襲
により焼失。
1956年
(
昭和
31年)、現在の社殿が造営される。