当社の御由緒は、古く立山の神々と共に御崇敬をうけられ、今より壱千二百余年の昔、大宝元年佐伯有頼公立山権現の御神勅に依り創建されました。 つづいて、永禄年間に土肥源七郎が崇敬申し上げ、天正八年には富山城主佐々内蔵助成政公が社殿を再建されました。 万治二年、富山藩祖前田利次公が中新川の砂田より現在の地へお招きになり社殿を御造営され爾来、この地を社名によって稲荷と申すようになりました。 第二代正甫公の延宝六年四月稲荷の産土神と定められ、これより二月の初午の日々には御使いをして、奉幣される例となりました。 以来、福徳の神、商売繁盛、五穀豊穣の神として大いに崇敬されています。