勝興寺(しょうこうじ)は、富山県高岡市伏木古国府にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は雲龍山。本尊は阿弥陀如来。文化財を多く有することで知られる。
勝興寺の起こりは文明3年(1471年)、蓮如が越中砺波郡蟹谷庄土山(南砺市土山)に創建した土山御坊で、蓮如の四男蓮誓が置かれた。その後明応3年(1494年)に蟹谷庄高木場(南砺市高窪)へ移転。火災による焼失後、永正14年(1517年)、佐渡にあった順徳天皇御願寺勝興寺(殊勝誓願興行寺)を再興、寺号を相続して「勝興寺」 と称した。永正16年(1519年)には安養寺村(小矢部市末友)に移転、蓮誓の次男実玄が安養寺城を建てた。
勝興寺は戦国時代、瑞泉寺と並んで越中一向一揆の中心勢力として猛威を振るったが、天正9年(1581年)、5代顕幸の時に石黒成綱に焼き討ちされた。天正12年(1584年)、佐々成政が古国府城の土地を越中一向一揆に寄進、顕幸が移ったこの地が現在の勝興寺である。
佐々成政が富山の役で敗退した後も、加賀藩前田氏の庇護を受けて境内が整備された。第10代加賀藩主の前田治脩は、藩主を継ぐ以前の若年期に一時出家しており、ここで得度している。
敷地は土塁・空濠で囲まれており、越中の国府跡という伝承がある。境内は東を正面とし、総門、唐門を入った敷地南寄りに大規模な本堂が建ち、北寄りには大広間、書院、台所など寺僧の居住・接客用の建物群が軒を列ねる。近世建立の堂舎群がまとまって残り、近世寺院の景観を残す点に価値が認められる。