2015.12.01更新
猿投神社
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猿投神社
所在地
愛知県
豊田市
猿投町大城5
位置
北緯35度10分31.02秒
東経137度10分38.86秒
主祭神
大碓命
神体
猿投山
(
神体山
)
社格
等
式内社
(小)
三河国
三宮
旧
県社
創建
(伝)第14代
仲哀天皇
元年
本殿の
様式
神明造
例祭
10月第2土・日曜日
猿投神社(さなげじんじゃ)は、
愛知県
豊田市
にある
神社
。
式内社
、
三河国
三宮
で、
旧社格
は
県社
。
猿投山
の麓に鎮座する。
『
日本書紀
』には、大碓命は景行天皇に東征を命じられたが、これを恐れて逃亡したため
美濃国
に封じられたとある。
宝亀
10年(
779年
)に編纂された縁起書によれば、大碓命は
景行天皇
52年に猿投山中で蛇毒のために42歳で死去し、山上に葬られたという。猿投山西峯にある西宮の背後に大碓命の墓がある。
社伝によれば、
仲哀天皇
元年に勅願により現在地に創建されたという。
国史の初見は、『
日本文徳天皇実録
』の
仁寿
元年(
851年
)10月7日条、従五位下の
神階
を授けるという記述である。『
延喜式神名帳
』では「参河国
賀茂郡
狭投神社」と記載され、小社に列している。また、三河国の
三宮
とされたという。
建治
元年(
1175年
)には最高位の
正一位
に達した。
明治
5年(
1872年
)9月、
近代社格制度
において
県社
に列格し、式内社・広沢天神社などを合祀した(広沢天神社は後に分祀し摂社となった)。
国幣小社
への昇格が内定していたが、昇格される前に
第二次世界大戦
終戦により社格制度廃止となった。
古来より「左鎌」を奉納して祈願する習慣がある。由来は不詳であるが、古老の伝によれば、双生児は一方が左利きであり、祭神・大碓命は小碓命(
日本武尊
)と双生児であったので左利きであるとされ、大碓命が当地の開拓に使ったであろう左鎌が奉納されるようになったという。現在では、左鎌をかたどった板が奉納されている。
毎年
10月
には、愛知県指定無形民俗文化財
棒の手
が披露・奉納される。