2016.02.15更新
大野寺
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大石佛
所在地
奈良県宇陀市室生大野
1680
山号
楊柳山
宗派
真言宗室生寺派
本尊
弥勒菩薩
創建年
不明、伝
白鳳
9年(
681年
)
開基
不明、伝
役小角
札所等
大和北部八十八ヶ所霊場
第66番
文化財
弥勒磨崖仏(
史跡
)
木造地蔵菩薩立像
(
重要文化財
)
大野寺(おおのでら、おおのじ)は、
奈良県
宇陀市
にある
真言宗室生寺派
の寺院である。
山号
は楊柳山、
本尊
は
弥勒菩薩
、
開基
は
役小角
と伝える。
室生寺
の西の大門に位置する。宇陀川岸の自然岩に刻まれた弥勒磨崖仏があることで知られ、枝垂桜の名所としても知られる。
役行者霊蹟札所
。
宇陀川沿いの景勝の地にあり、近鉄
室生口大野駅
方面から室生寺へ向かう際の入口に位置する。伝承では
白鳳
9年(
681年
)、役小角(役行者)によって草創され、
天長
元年(
824年
)に
空海
(弘法大師)が堂を建立して「慈尊院弥勒寺」と称したという。役小角は
修験道
の開祖とされる伝説的要素の多い人物であり、空海が堂を建立との話も創建を宗祖に仮託した伝承とされており、創建の正確な経緯は不明である。近くにある
室生寺
は
興福寺
系の僧によって創建・整備されており、大野寺の磨崖仏造立にも興福寺の僧が関係していることから見て、興福寺と関係の深い寺院であったと考えられている。
宇陀川をはさんだ対岸にある弥勒磨崖仏は、「石仏縁起」(
万治
2年・
1659年
)や「興福寺別当次第」によれば、興福寺の僧・
雅縁
の発願により、
承元
元年(
1207年
)から制作が開始され、同3年に
後鳥羽上皇
臨席のもと開眼供養が行われたものである。
寺は明治33年(1900年)の火災で全焼した。その際、本尊をはじめとする仏像などは持ち出されたが、現存する建物はすべて火災以後のものである。
木造地蔵菩薩立像(重要文化財) - 鎌倉時代の
寄木造
の像で、無実の娘を火あぶりの刑から救ったという伝説にちなみ「身代わり地蔵」と呼ばれている。
宇陀川の対岸に位置する高さ約30mの大岩壁に刻まれている。岩壁を高さ13.8mにわたって光背形に掘り窪め、その中を平滑に仕上げた上で、像高11.5メートルの弥勒仏立像を線刻で表す。前述のように、興福寺の僧・雅縁の発願により、
承元
元年(
1207年
)から制作が開始され、同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたものである。作者は宋から来日した石工・
伊行末
(いぎょうまつ/いのゆきすえ)の一派と考えられている。山城国
笠置山
にあった弥勒の大石仏(現在は光背のみが残る)を模したものである。像の向かって左手の岩壁下方には円形の区画内に
種子
曼荼羅(尊勝曼荼羅)を刻む。
石仏は岩盤からの地下水の滲出等で剥落の危険があったため、1993年から1999年にかけて保存修理工事を実施。岩表面の苔類の除去や地下水の流路を変える工事などが行われた。史跡指定名称は「大野寺石仏」。