2015.11.21更新

圓蔵院


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慶安二年、淀城主 永井尚政公が、廃れたる道元禅師初開の道場、興聖寺の古刹を、再興の因み、当院を開創し、本寺後権の要職に補せられる。
即ち、広野新田を開き、名木川の河原を馴らし、小松を植え、旧槇島村、円蔵院の寺号を移し、興聖寺中興の祖 萬安英種大和尚を開山に請し、一村一寺一社の制をしき、寺社の護持に当たらしむ。よって桃山城の遺構を移し、旭雲斎を本堂とする。(※旧本堂鬼瓦に京保六年卯月八日の書あり、三世中興和尚の時に完成せるものか?)
爾来三百三十余年世代を閲すること二十四代、歴代本寺後権興聖寺僧堂後堂、西堂の要職を奉じ雲納接得、鉄漢打出の責を荷ひ、現住(二十五世)良章和尚に至る。