2015.11.26更新
興聖寺
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承陽大師
所在地
京都府宇治市
宇治山田27
位置
北緯34度53分24.1秒
東経135度48分49.45秒
山号
仏徳山
宗派
曹洞宗
本尊
釈迦三尊
創建年
天福
元年(
1233年
)
開基
道元
中興年
慶安
2年(
1649年
)
中興
永井尚政
(中興開基)、
万安英種(中興開山)
興聖寺(こうしょうじ)は
京都府
宇治市
にある
曹洞宗
の寺院。日本曹洞宗最初の
寺院
で
僧堂
がある。山号は仏徳山(ぶっとくさん)。
本尊
は
釈迦三尊
。参道は「琴坂」と称し、宇治十二景の1つに数えられている
[1]
。
道元
は
宋
から安貞元年(1227年)に帰国、しばらく
建仁寺
に身を寄せた後、同寺を去って
深草
(現在の
京都市
伏見区
深草)の安養院に閑居した。寛喜元年(1229年)頃のこととされる。安養院はかつて深草にあった
藤原氏
ゆかりの大寺院極楽寺の跡で、現在の京都市伏見区深草宝塔寺山町付近にあったと推定されている。
天福
元年(
1233年
)、道元は深草に興聖寺を開創する。『永平広録』によれば
嘉禎
2年(
1236年
)に開堂式が行われ、観音導利興聖宝林寺と号した。なお、その前年の嘉禎元年(1235年)の「宇治観音導利院僧堂建立勧進之疏」(『建撕記』所収)によると、当時の興聖寺には仏堂はあったが法堂と僧堂はまだなく、道元は僧堂建立のための勧進を呼びかけていた。建築史家の
太田博太郎
は、この時点(嘉禎元年)からわずか1年足らずの嘉禎2年に伽藍が完成していたとは考えられないとしている
[2]
。
興聖寺は、
比叡山
延暦寺
の弾圧を受け、
寛元
元年(
1243年
)、道元が
越前
に下向して以降荒廃し、住持4代で廃絶した。その後
慶安
2年(
1649年
)、
淀城
主の
永井尚政
が
万安英種
を招聘して5世住持とし、
朝日茶園
のあった現在地に復興したのが今ある興聖寺である
[3]
。