2015.11.28更新

菟道稚郎子御墓


トップページへ戻る

菟道稚郎子(うじのわきいらつこ/うぢのわきいらつこ、生年不詳 - 壬申[注 1])は、記紀等に伝わる古代日本皇族
第15代応神天皇皇子(『日本書紀』では皇太子)で、第16代仁徳天皇は異母兄にあたる。
菟道稚郎子は、名前の「菟道」が山城国宇治(現・京都府宇治市)の古代表記とされるように、宇治地域と関連が深い人物である。郎子は宇治に「菟道宮(うじのみや)」を営んだといい、郎子の墓も宇治に伝えられている。
郎子については『古事記』『日本書紀』等の多くの史書に記載がある。中でも、父応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられたものの、異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと:仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談が知られる。ただし、これは『日本書紀』にのみ記載された説話で、『古事記』では単に夭折と記されている。
『古事記』『日本書紀』の郎子に関する記載には多くの特異性が指摘されるほか、『播磨国風土記』には郎子を指すとされる「宇治天皇」という表現が見られる。これらの解釈を巡って、「天皇即位説」や「仁徳天皇による郎子謀殺説」に代表される数々の説が提唱されている人物である。

続柄 第15代応神天皇皇子
身位 皇太子
出生 不詳
死去 壬申
菟道宮
埋葬 壬申年?
治定:宇治墓(丸山古墳、京都府宇治市
配偶者 (記載なし)
子女 (記載なし)
父親 応神天皇
母親 宮主宅媛