2015.01.11更新
鬪雞神社
鬪雞神社
所在地
和歌山県
田辺市
東陽1番1
位置
北緯33度43分46.93秒
東経135度23分2.08秒
主祭神
熊野三所神
社格
等
県社・別表神社
創建
允恭天皇
8年(
419年
)
札所等
神仏霊場巡拝の道
第5番
(和歌山第5番)
例祭
7月24日
・
25日
鬪雞神社(とうけいじんじゃ)は、
和歌山県
田辺市
にある
神社
である。旧称は田辺宮、新熊野。通称:権現さん。
允恭天皇
8年(
419年
)9月、
熊野権現
(現在の
熊野本宮大社
)を
勧請
し、田辺宮と称したのに始まる。
白河法皇
の時代に
熊野三所権現
を勧請した。
平安時代
末期の
熊野別当
・
湛快
のときにさらに天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称し、湛快の子の
湛増
が田辺別当となった。
弁慶
は湛増の子と伝えられ、その子孫を名乗る
大福院
から寄進された弁慶の産湯の釜が当社に残る。
田辺は
熊野街道
の
大辺路
・
中辺路
(
熊野古道
)の分岐点であることから、皇族や貴族の熊野参詣の際は当社に参蘢し、心願成就を祈願した。熊野三山の全ての祭神を祀る熊野の別宮的な存在であり、当社に参詣して三山を遥拝して山中の熊野まで行かずに引き返す人々もいた。
『
平家物語
』などによれば、
治承・寿永の乱
(源平合戦)の時、湛増は社地の
鶏
を紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから
源氏
に味方することを決め
[1]
、
熊野水軍
を率いて
壇ノ浦
へ出陣したという。
このことから「闘鶏権現」と呼ばれるようになり、
明治
の
神仏分離
の際に鬪雞神社を正式な社名とした。