2016.04.28更新

円光院


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       信玄公守本尊

所在地 山梨県甲府市岩窪町
位置 北緯35度40分58.4秒
東経138度35分13.5秒
山号 瑞巌山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
創建年 永禄三年(1560年)
開基 武田信玄
正式名 瑞巖山円光護持禅院
札所等 甲斐百八霊場60番
円光院(えんこういん)は、山梨県甲府市岩窪町にある寺院臨済宗妙心寺派寺院。山号は瑞岩山。本尊釈迦如来。戦国期に武田信玄が制定した甲府五山のひとつで、信玄正室三条夫人菩提寺として知られる。
甲斐国志』巻八二『甲斐国社記・寺記』通巻三二に拠れば、円光院の前身は八代郡小石和郷(笛吹市石和町)に建立された清光寺で、清光寺は甲斐源氏の始祖である逸見清光(源清光)の開創であるという。室町期に甲斐守護武田信守により父信重の菩提寺として再興され、成就院と改められる。石和の地は室町期までの武田氏の本拠地であったが戦国期には武田信虎により居館甲府へ移転され城下町が整備され、城下には武田氏の庇護を受けた諸寺院が成立する。成就院も永禄年間に武田信玄(晴信)により甲府城下に移転され甲府成就院となり、甲府五山のひとつに定められる。武田氏からは茶湯料・屋敷分として林部・石和の地に18貫文を寄進されている[1]
弘治2年には信玄の信任を得て伊予国安国寺(愛媛県東温市)から甲府へ赴いた遠叔が住持となっており[2]、永禄7年には説三恵?の住持が確認されている。『寺記』に拠れば、元亀元年に死去した信玄正室三条夫人(円光院殿)の菩提寺で、三条夫人の院号に因んで改称し、境内西には三条夫人の墓所である宝篋印塔が造営されているほか、江戸時代に甲府藩主となった側用人柳沢吉保武田遺臣の後裔を称し恵林寺の信玄霊廟などを造営しており、円光院においては石灯籠を寄進している。
また、武田氏滅亡後の徳川氏時代の代官である平岡氏の墓所も存在している。
本尊の釈迦如来像は南北朝期の造仏で、京都の円派仏師による制作と考えられている。衣の表現には金泥地に截金と盛上げ彩色で繊細な文様を表現し、棲雲寺甲州市)像との共通が指摘されている。また、山梨県内に伝来する韋駄天[3]は円光院の旧蔵で、釈迦如来像と同時期の制作であると考えられている。後補の兜内側には天文21年(1552年)年紀と作者寿泉書記の朱漆銘文[4]が残り、寿泉については武田家との関わりも深い窪八幡神社山梨市)の本殿壁板墨書銘に名が見られる寿仙と同一人物であると考えられている[5]
ほか、円光院武田家系図[6]や勝軍地蔵像・刀八毘沙門天像[7]などの寺宝を所蔵しているほか、円光院文書が伝わる。
2014年には刀八毘沙門天像と勝軍地蔵像の二像が修復されることとなった。