2016.04.26更新

酒折宮


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         酒折宮

所在地 山梨県甲府市
酒折3-1-13
位置 北緯35度39分39.7秒
東経138度35分47.7秒
主祭神 日本武尊
社格 村社
創建 不詳
本殿の様式 神明造
例祭 10月17日
酒折宮(さかおりみや・さかおりのみや)は、山梨県甲府市酒折にある神社旧社格村社
古事記』・『日本書紀』に記載される日本武尊の東征の際、行宮として設けられた酒折宮に起源をもつとされる神社である(ただし後述のように異説もある)。また、その説話にちなみ連歌発祥の地とされている。
『古事記』・『日本書紀』(以下「記紀」)には、ヤマトタケルの東征伝承が記されている。ヤマトタケルの東征は『古事記』では尾張から相模・上総を経て蝦夷に至り、帰路は相模の足柄峠から甲斐国酒折宮へ立ち寄り、信濃倉野之坂を経て尾張へ至ったとしている[1]。一方、『日本書紀』では尾張から駿河・相模を経て上総から陸奥・蝦夷に至り、帰路は日高見国から常陸を経て甲斐酒折宮を経由し、武蔵から上野碓日坂を経て信濃、尾張に至ったとしている[2]
帰路、甲斐国(現 山梨県)酒折の地に立ち寄って営んだ行宮が当社に因むとされている。行在中に尊が塩海足尼を召して甲斐国造に任じて火打袋を授け、「行く末はここに鎮座しよう」と宣言したため、塩海足尼がその火打ち袋を神体とする社殿を造営して創祀したと伝える[3]
記紀に記されるヤマトタケルの東征経路は、古代律令制下の官道においては往路が東海道、帰路が東山道にあたっている。また「倉野之坂」や「碓日坂」はいずれも令制国の国境に位置し、甲斐国は東海道と東山道の結節点に位置することから、酒折宮も「」に関係する祭祀を司っていた神社であると考えられている。