2015.06.10更新
勝手神社
勝手神社
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所在地
奈良県吉野郡吉野町吉野山2354
位置
北緯34度21分52.9秒 東経135度51分44.9秒
主祭神
天之忍穗耳命
社格
等
村社
例祭
10月第3日曜日
勝手神社(かつてじんじゃ)とは
奈良県
吉野郡
吉野町
にある神社。祭神は『
和漢三才図会
』に「勝手社 祭神一座 受鬘命(うけりのみこと/うけのりのみこと)」とある。現在の主祭神は
天忍穂耳命
とされている。
大山祇命
・
久久能智命
・
木花佐久夜比当ス
・
苔虫命
・
葉野比当ス
が配祀されている。
吉野
大峰山
の
鎮守社
である
吉野八社明神
の一でかつては「勝手明神」と呼ばれた。
吉野川
水源に当たる
青根ヶ峰
は古くから
水神
として崇敬を受け、山頂付近に
金峯神社
(奥千本)・山腹に
吉野水分神社
(上千本)・山麓に勝手神社(中千本)が建てられた
[1]
。勝手は「入り口・下手」を意味するともいい、その字面から勝負事や
戦の神
としても信仰された。
神仏習合
時代には勝手大明神の
本地
は
毘沙門天
と言われ、さらなる武門の尊崇を受けることとなった。また、
吉野山
の入り口に位置することから山口神社ともいわれた
[2]
。
創建年代は不詳だが、「日雄寺継統記」では
孝安天皇
6年(
紀元前386年
)とする。
大海人皇子
が社殿で琴を奏でたところ、
天女
が舞い降り5度袖を振りつつ舞ったと伝えられ、背後の山は「袖振山」と称する。また、この故事が宮中の「
五節舞
」の起源という
[3]
。
境内には
源義経
の妻女、
静御前
が追っ手に捕らわれた際、舞を見せたと伝わる舞塚が残る。
流造
檜皮葺
、桁行八間・梁間二間の
本殿
は県の
有形文化財
であったが、
2001年
に不審火で焼失したため、ご神体は向かいの
吉水神社
に遷座しており、本殿再建のための寄付金が募られている。
蔵王権現
(
金峯山寺
)、子守権現(吉野水分神社)、勝手権現(勝手神社)は三所権現として
伯耆
の
三仏寺
に勧請され、蔵王権現は奥院(
投入堂
)、子守権現は地蔵堂、勝手権現は文殊堂に祀られた
[4]
。勝手明神は単体でも諸国の神社に
勧請
され、全国28社の勝手神社の総本社となっている
[3]
。
吉野水分神社祭神の子守明神とは夫婦神であるとされる。勝手明神が男神、子守明神が女神である。室町後期成立の能「
嵐山
」では、吉野から移植された
嵐山
の桜の花守(はなもり)である老夫婦は実は勝手、子守両神の化身であり、蔵王権現、勝手明神、子守明神は三身一体であることを宣する筋立てが語られる
[5]
。