2017.04.17更新

吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)


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所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山1612
位置 北緯34度21分14.0秒 東経135度52分23.2秒
主祭神 天之水分大神
社格 式内社(大)・村社
本殿の様式 春日造・流造
例祭 10月第3土曜日

吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町子守地区(吉野山上千本)にある神社式内社で、旧社格村社
葛城水分神社都祁水分神社宇太水分神社とともに大和国四所水分社の一つとして古くから信仰されてきた。また、「みくまり」が「みこもり」となまり、子守明神と呼ばれ子授けの神として信仰を集めている。宣長の両親の子守明神への祈願により本居宣長が授けられたといわれている。
2004年7月に、ユネスコ世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。
水を司る天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を主祭神とし、高皇産霊神少名彦神御子神天津彦火瓊瓊杵命玉依姫命天萬栲幡千幡比当スを配祀する。
『神社要録』では「天水分神・国水分神」、『神名帳考証』『大和国大小諸神社神名記並縁起』では単に「水神」と記されている。
創建については不詳である。当社に関する最も古い記録は、『続日本紀』の文武天皇2年(698年)4月29日条で、芳野水分峰神に馬を奉り祈雨したとの記述である。 当神社は、元来は吉野山の最奥部、吉野町、黒滝村川上村の境に位置する青根ヶ峰に位置したとされる。青根ヶ峰は吉野川の支流である音無川が東へ、喜佐谷川が北へ、秋野川が西へ流れるなどの源流となる山で「水分 = 水配り」の神の鎮座地にふさわしい。大同元年(806年)ごろに現在地へ遷座した。延喜式神名帳では「大和国吉野郡 吉野水分神社」として記載され、大社に列し、月次・新嘗の幣帛に預ると記されている。前防家が社家。
平安時代中期ごろから「子守明神」と呼ばれるようになった。豊臣秀吉もこの地を訪れ秀頼を授かったといわれる。現在の社殿は慶長10年(1605年)に秀頼によって創建されたものである。作事の奉行を務めたのは豊臣家臣で尼崎郡代の建部光重
神仏習合時代には、水分神は地蔵菩薩の垂迹とされ(子守権現)、金峰山の蔵王権現(金峯山寺)に属する神社として修験道の行場の一つとなっていた。明治の神仏分離によって金峯山寺より独立し、村社に列格した。

       吉野水分神社